映画「七人の侍」では、黒澤明監督から歩き方を何度もやり直しさせられるも、翌年の1955年には、月丘夢路さんに見初められ、月丘さん主演の映画「火の鳥」で、月丘さんの相手役に抜擢されると、その後、「人間の條件」の主人公にも抜擢された、仲代達矢(なかだい たつや)さん。すると、ついに、黒澤明監督から二度目のオファーが来ます。
「仲代達矢の若い頃は黒澤明監督に何度も歩き方をダメ出しされていた!」からの続き
黒澤明監督からの「用心棒」のオファーを断っていた
「七人の侍」でのエキストラでは、散々、黒澤明監督に歩き方をダメ出しされた仲代さんですが、その後、「人間の條件」などの演技を見た黒澤監督から、映画「用心棒」で、主人公・三十郎(三船敏郎さん)の敵役・卯之助役を打診されます。
すると、「七人の侍」で悔しい思いをした仲代さんは、待ってましたと、このオファーを謝絶。
(断った時は、とても気持ち良かったとのこと(笑))
ただ、黒澤監督本人に直々に呼び出され、
黒澤監督:なぜ嫌なんだ。脚本は読んだのか。
仲代さん:面白かったです。
黒澤監督:じゃあ、なぜ。
といったやりとりがあり、最終的には、この役を引き受けられたのでした。
(ちなみに、黒澤監督は、「七人の侍」で仲代さんに散々ダメ出ししたことは、すっかり忘れていたそうです(笑))
「用心棒」では三船敏郎と決闘シーン
こうして、「用心棒」のオファーを受けた仲代さんは、三船敏郎さんとの決闘シーンでは、仲代さんが刀を上から振り下ろすより、一瞬早く三船さんが刀を抜いて仲代さんの心臓を突き、仕込んでいたタンクから大量の血しぶきが噴き出し、仲代さんが驚いた表情のまま倒れる、という迫真の演技を披露されているのですが、
実は、お二人は、お互い、相手の手を知らないまま、いきなり本番だったそうで、
仲代さんは、そのことについて、
事前に知っていたら、あの演技はできませんでしたね。
と、黒澤監督の演出によるものだったことを明かされているほか、
着流しにマフラー姿、拳銃片手の卯之助役は面白かった。三船さんとの共演も楽しかったですね。きまじめでいつでも全力。だからテストなしでいきなり本番ということが多かった。
と、「七人の侍」の時は散々でしたが、「用心棒」の撮影は楽しかったようです♪
「用心棒」より。
「切腹」では大先輩の三國連太郎に演技論で譲らず
そんな仲代さんは、1962年には、武士道の矛盾と個人対組織の問題を正面から描いた、小林正樹監督作品「切腹」で、井伊家の家老(三國連太郎さん)に語り聞かせる浪人役と作品の語り部をされているのですが、
三國さんが、
仲代くん、君の演技は違う
君がこう来ると思って、自分の演技プランを考えていたんだ
と、言ってきても、
そんなこと言われてもねえ
と、思いつつ、
どうやればいいんですか?
いや、それはやりたくないんですけど
などと、反論したり、
映画は演劇と違ってマイクがあるから、僕が遠くにいても大声を出さなくていい
と、三國さんに言われても、
2人が同時に写る場面もあるから、距離感は大切です
と、言い返すなど、
大先輩の三國さんに反論し、演技論では譲らなかったそうです。
「切腹」の殺陣では真剣が使われていた
ちなみに、この作品の殺陣には、小林監督の、
時代劇みたいに簡単に人が切れるはずがない
という考えから、刀の重みを出すために、本身(真剣)が使われたそうで、
仲代さんが、丹波哲郎さんの頭上に刀を振り下ろすシーンでは、竹光(たけみつ・・・竹を刀のようにしたもの)なら、すれすれで止められるものの、本身は重いため、うまく止められず、怖くて仕方がなかったそうですが、
丹波さんはというと、
君は気は確かだな?なら大丈夫だ
と、平然とされていたとのこと。
ただ、仲代さんによると、後にこのシーンを見てみると、仲代さんの太刀筋は少し丹波さんから離れており、スピード感が足りないような気がするとのことで、やはり、怖かったのだろうということでした。
「切腹」より。