かねてより夢だった記者に転身しようとした矢先、お父さんが他界したことから、家族を養うため、女優業を続けられた、冨士眞奈美(ふじ まなみ)さんですが、その後も、順調に女優業を続ける中、1970年、32歳のとき、自身最大の当たり役となるドラマに出会います。
「冨士眞奈美の若い頃はNHK三人娘で清純派女優だった!」からの続き
「細うで繁盛記」の意地悪な小姑役でブレイク
再び記者を目指すも、お父さんが他界したことにより、一家を養うため、女優として生きていく覚悟を決めると、その後は、順調に仕事をこなされていた冨士さんですが、なんとなく女優業を続けるうち、ふと気がつくと、30歳前になっていたそうです。
しかし、そんな中、1970年、32歳の時、テレビドラマ「細うで繁盛記」で、大阪から伊豆・熱川温泉の老舗旅館「山水館」に嫁いできた兄嫁・加代(新珠三千代さん)をいじめる、ヒステリックで意地悪な小姑・正子役を演じられると、近畿地区では最高視聴率38.0%を記録する大ヒット。
これまでの清純派とは一転、憎まれ役を演じた冨士さんがおもしろいと好評を博したのでした。
「細うで繁盛記」より。
清純派女優から憎まれ役に転身した理由とは?
ちなみに、この作品で、冨士さんは、牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡をかけ、
ちょっくら! 加代、おみゃーの出る幕じゃあ にゃーズラよ!
加代!おみゃーの言うとおりにゃさせにゃーで!
犬にやる飯はあってもおみゃーにやる飯はにゃーだで!
という、静岡(伊豆)弁でのセリフが、視聴者に強烈な印象を与えたのですが、
それまで、清純派女優として活躍されていた冨士さんが、なぜ、この役を引き受けられたのでしょうか。
実は、その前に出演したテレビドラマ「悲しみよこんにちは」での演技が、朝日新聞の記事で褒められていたそうで、
それまで人から褒められたことがなく、ましてやお芝居で褒められたことなど、これまで一切なかった冨士さんには、それが嬉しくて嬉しくて仕方なく、俄然(がぜん)やる気を出したそんな時に、「細うで繁盛記」のオファーがあったというのです。
しかも、台本を読んだところ、(原作者で脚本家の花登筺さんが忙しかったため)台本にはあらすじが書いてあるだけで、比較的自由に演じることができたことほか、
伊豆弁は地元の言葉で得意だったこと、大阪のきれいなお嬢さんが伊豆にやってきて、伊豆の汚い旅館の小姑である冨士さんがいじめるという設定に、なんだか生き生きしてしまったのだそうです(笑)
「細うで繁盛記」より。(左から)新珠三千代さん、高島忠夫さん、谷幹一さん、冨士さん。
新珠三千代とは仲良しだった
また、主人公の加代を演じた、新珠さんが、
蹴っても殴ってもいいのよ
と、言ってくれたことから、はりきって、思いっきりいじめることができたそうですが、
それはあくまでお芝居上でのことで、新珠さんは、冨士さんの誕生日に、フランス製のおしゃれな下着や、白いキラキラとしたカクテルバッグをプレゼントしてくれるなど、プライベートでは、とても仲が良かったのだとか。
(下着はもったいなくて使うことができず、いまだにとってあるそうで、そのほか、プレゼントしてくれたものは、今でも全部持っているそうです)
こうして、「細うで繁盛記」の正子役が大当たりとなった冨士さんは、以来、「パパと呼ばないで」「雑居時代」など、ホームドラマのオファーが殺到。出戻り、行き遅れなどの意地悪な役で、さらなる人気を博したのでした。
「冨士眞奈美のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く
「細うで繁盛記」での新珠三千代さん(左)と冨士さん(右)。