歌舞伎雑誌の記者・本間昭三郎さんから、美空ひばりさん主演の映画に美空さんの相手役として出演することを打診され、「新芸術プロダクション」の福島通人社長に会うことになった、萬屋錦之介(よろずや きんのすけ)さんですが、実は、萬屋さんは、以前から映画に憧れていたといいます。

「萬屋錦之介の若い頃は歌舞伎の女形も良い役が回ってこなかった?」からの続き

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美空ひばりの相手役オファーを承諾

1953年11月半ば、雑誌「花道(はなみち)」の記者・本間昭三郎さんが、美空ひばりさんの主演映画「ひよどり草紙」の美空さんの相手役を打診するため、「歌舞伎座」の萬屋さんの楽屋に訪ねてくると、

萬屋さんは、早速、その日の夜、芝居が終わった後、本間さんと一緒に料亭「ひろた」で、「新芸術プロダクション」の福島社長と製作部長の旗一兵さんと会われたそうで、

福島社長が、挨拶を済ませた後、

美空ひばりの今度の映画に相手役としてぜひ出演していただきたいのですが

と、単刀直入に切り出し、

そのすぐ後で、旗さんが、

こんな映画なんです

と、「ひよどり草紙」のあらすじを朗読し始めると、

萬屋さんは、それを真剣に聞いたそうで、

(福島社長は、萬屋さんの目が次第に輝いて行くのを見て、「これはいけるな」と感じたそうです)

旗さんの朗読が終わり、福島社長が、

どうでしょうか

と、尋ねてくると、

萬屋さんは、福島さんの紳士的でありながらも熱心な様子に、この人なら信用できると思ったそうで、ニコッと笑って、

その映画に出演しましょう。だけど、歌舞伎の舞台と映画とでは、両立は困難だと思います。映画に出演する以上、舞台は当分棄て、門外漢のことでありますが、全力を尽くします。全部お任せします。どうぞよろしくお計らい下さい。

と、頭を下げたのでした。

(一方、福島社長はというと、本間さんから事前に、萬屋さんが映画出演に乗り気であることを聞いており、強引にでも承諾させようと思っていたそうですが、実際に会ってみると、容姿はイメージと多少違っていたそうです。ただ、ハキハキした好青年で、萬屋さんならきっと大丈夫だろうと思い、萬屋さんにオファーしたのだそうです。)

福島通人社長に気に入られていた

ちなみに、美空さんのマネージャーだった嘉山登一郎さんは、著書「お嬢…ゴメン。誰も知らない美空ひばり」の中で、

「あれはいいよ。あれはいい俳優になる。おれたちと話したって、全然ものおじしないからな。」

福島は話し合いから戻ってくると、事務所の中を歩き回りながら、私たちに報告した。

と、福島さんが、かなり萬屋さんを気に入られたことを明かされています。


お嬢…ゴメン。―誰も知らない美空ひばり

映画に出演できることに感激していた

ところで、前述の通り、萬屋さんは、ずっと映画に出たいと思われていたそうで、「新芸術プロダクション」から映画出演の話が来た時にはとても喜び、その日のうちに誰にも相談せず、一人で出演オファーを承諾されているのですが、

萬屋さんにとって、美空さんの相手役ということはさほど重要ではなく、また、美空さんの相手役をやることで、一躍注目を浴びるかもしれないとの思惑や打算はなく、ただただ、映画に出演できることが嬉しかったそうです。

また、「ひよどり草紙」のあらすじを聞いて、美空さんの相手役といえど、自分の役がとても良い役であることに満足し、その役に選んでくれたことにとても感激されたのだそうです。

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両親も映画出演を承諾

そんな萬屋さんは、その日の夜遅く家に帰り、映画出演を承諾したことを両親に話すと、両親は、一旦は激怒したそうですが、萬屋さんの決心が固いことを知ると、これを了承してくれたそうです。

そして、お母さんは、萬屋さんが持ち帰った「ひよどり草紙」のあらすじが書かれた本を、その晩、寝ながら読まれたそうですが、面白いと思い、萬屋さんと美空さんの共演が楽しみになってきたそうで、

さっそく、次の日、「松竹」の演劇関係の重役に会いに行き、萬屋さんが映画出演すること、舞台は当分休ませて、映画に専念させてやりたいことを話したそうで、重役はこの申し出を、渋々ながら受け入れたのだそうです。

「萬屋錦之介が歌舞伎を捨て映画界入りしたのは松竹への憤激からだった!」に続く

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