師匠・笑福亭松之助さんのおおらかな計らいにより、「吉本興業」でタレント・漫談家として活動をスタートさせた、明石家さんま(あかしや さんま)さんは、いきなり、TVデビューとなる「11PM」で、司会の藤本義一さんにダメ出しされるのですが、それでも、その後、阪神タイガースのエース・小林繁さんの形態模写(モノマネ)で一躍ブレイクを果たします。
「明石家さんまは落語家内弟子時代に吉本興業にスカウトされていた!」からの続き
横山やすしに気に入られる
「11PM」でテレビデビューすると、生放送中にもかかわらず、司会の藤本義一さんに怒られてしまったさんまさんですが、番組の共演者で、このやり取りを見ていた横山やすしさんには、
飲みに行こ!
と誘われ、一緒に飲みに行ったそうです。
すると、やすしさんには朝まで付き合わされたそうで、しかも、その後、やすしさんの家に招待され、なんと、朝の5時に、競艇(ボート)のエンジン音のメーカー別の暗記をさせられ、30分後にテストまでさせられたそうですが、
やすしさんには気に入られ、翌日、
さんまは面白い
と、吉本興業の社員に売り込んでもらったそうです。
(ちなみに、しょっちゅう、激怒しては大暴れしていたやすしさんですが、さんまさんは一度も怒られたことがないそうです)
小林繁の投球フォームの形態模写(モノマネ)でブレイク
そんなさんまさんは、漫談家に転身し、兄弟弟子の明石家小禄さんと漫才コンビを組むほか、「B&B」「のりお・よしお」「ザ・ぼんち」らと組んだコントユニット「ビールス7」としての活動や、島田紳助さん(松本竜介さんとコンビ「紳助・竜介」を組む前)とイベント司会などの営業活動をするようになると、
舞台で小禄さんとの漫才中、小禄さんのアドリブで、当時、読売ジャイアンツの投手で、さんまさんと顔が似ていた、小林繁さんの投球フォーム(アンダースロー)を披露するように振られ、実際に形態模写(モノマネ)を行ったところ、これが観客に大ウケ。
すると、1979年1月、読売ジャイアンツのエースだった小林さんが、江川卓さんとトレードされて阪神タイガースに入るのですが(「空白の一日」)、
小林さんは、読売ジャイアンツに対し、無傷の8連勝を挙げるなど、一躍タイガースのエースになり、その相乗効果で、さんまさんも、関西で一躍ブレイクしたのでした。
小林繁さんの形態模写をするさんまさん。
(さんまさんは、もともとは、読売ジャイアンツのバッターの1番から9番までの選手の形態模写をしていたのですが、小林さんへの応援の意味も込めて、小林さんの形態模写を中心にするようになったそうです。)
シングル「Mr.アンダースロー」を発売するも東京ではさっぱり
そんなさんまさんは、翌年の1980年には、「Mr.アンダースロー」という曲までリリースすると、「大阪ガス」のCMにも起用され、
これに気を良くしたさんまさんは、
歌でね。歌の俺でね、「よろしくお願いします」って。有線回って。「西からエースが来ました」って感じで回って。キャンペーンしてんのよ、俺も(笑)
と、東京のラジオ局やテレビ局にまで挨拶に行かれたそうですが・・・
その時、21ぐらいの時ですから。「西からエースがやってくる」って、東京へ来て、滅多打ちにされるっていう。
誰も鼻にもかけてくれない状況で、とぼとぼと大阪に帰って行った日を覚えてる。
と、東京では、まったく取り合ってもらえなかったのでした。
「明石家さんまは昔「ヤングおーおー」でアイドル的な人気だった!」に続く