両親の離婚後、母親の松田聖子さんが再婚&渡米することになり、一旦は、馴染みの浅い聖子さんの再婚相手と暮らすことに抵抗を感じ、日本で寮生活を送ることとなるも、壮絶なイジメに耐えきれず渡米すると、今度は、言葉の壁に、結局、帰国。その後も転校を繰り返すなど、散々だった、神田沙也加(かんだ さやか)さんですが、そんな中、本格的に、日本で芸能活動を開始します。

「神田沙也加の生い立ちは?中学の時は壮絶なイジメに遭っていた!」からの続き

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歌手デビューするもパッとせず

ロサンゼルスでの継父との生活に抵抗を感じて帰国した後も、転校を4回も繰り返すなど、つらい日々を送っていた沙也加さんですが、2001年5月、15歳(中学3年生)の時には、江崎グリコ「アイスの実」でCM初出演を果たし、自身が作詞したオリジナル曲も歌唱すると、


「アイスの実」のCMより。

翌月の6月には、お母さんの松田聖子さんのコンサートで、初めてファンの前で生の姿を紹介されます。

また、翌年の2002年5月(高校1年生)には、ファーストシングル「ever since」でアイドル歌手デビューし、「神田正輝と松田聖子の娘」ということで、大きな注目を集め、


ever since

続く2003年8月(高校2年生)には、自ら作詞作曲した2枚目のシングル「garden」をリリースするのですが・・・

いずれもヒットとは程遠い結果に。


garden

女優デビューするもパッとせず

そして、同年2003年には、映画「ドラゴンヘッド」でヒロインに抜擢されて女優デビューも果たし、テレビドラマ「ヤンキー母校に帰る」では、生徒役で大々的に女優としての活動も始められたのですが・・・


「ドラゴンヘッド」より。妻夫木聡さんと沙也加さん。


「ヤンキー母校に帰る」より。(左から)市川由衣さん、沙也加さん、氏家恵さん。

やはり、パッとしなかったのでした。

業界内での評価も厳しかった

ちなみに、沙也加さんは、

周りの大人は私が歌手になりたいと思っていたようで、「あなたは歌手にだけはなってはいけない」って言われ続けてきたんです。母親があまりにも偉大な存在だから、同じ道を選んでも比較されて辛い思いをするだろうって。

と、物心ついた時から、歌手になることを、周囲に反対されていたことを明かされているのですが、

沙也加さんの場合、両親が有名人で、特にお母さんが松田聖子さんということで、他の二世タレントとは比べ物にならないほど注目度が高く、どうしても、実力不足が目立ってしまったそうで、

顔立ちも、おばあさん(父・神田正輝さんの母親)の旭輝子さん似で古典的だったことから、アイドルとしての素質に乏しいと、業界内の評価は非常に厳しいものだったそうです。

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宮本亜門の舞台「INTO THE WOODS」で主演に抜擢

そこで、聖子さんは、そんな娘を心配してか、沙也加さんにアメリカ・バークリー音楽学園への留学を勧めたそうですが、このまま日本で仕事を続けたかった沙也加さんは、2004年、宮本亜門さんのミュージカル「INTO THE WOODS」のオーディションを受けます。

すると、約20倍の難関を突破し、沙也加さんは、見事、主役の赤ずきん役を射止めたそうで、

沙也加さんは、

ミュージカルは初めてで、右も左も分からなくて、自信もない状態だったんですが、そんなときに亜門さんが「ちゃんとあなたを見て選んだんだから、あなたはあなたのままで、自信を持ってそこに立っていいんだよ」って言ってくれて、すごい楽になったし、ちゃんとここに立っていくぞと思った。

と、当時の心境を明かされています。

ちなみに、宮本さんはというと、

(神田さんに)歌ってもらって、本気なんですよ。 絶対舞台女優になるという意志のもとに来ていて、生半可じゃない熱の入れようで、声が素晴らしかった。

と、沙也加さんの本気度が、起用の決め手となったことを明かされていました。

「神田沙也加は母・松田聖子に生活費を凍結されていた!」に続く

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