1963年には、脚本家・花登筺(はなと こばこ)さんが結成し、大村崑(おおむら こん)さんが座長を務める、劇団「笑いの王国」が、花登さん絡みの問題で解散となるほか、花登さんが大村さんの人気に嫉妬して嫌がらせをするなど、次第に関係がギクシャクしていった二人ですが、それでも、1970年には「細うで繁盛記」、1973年には「どてらい男(やつ)」と、大村さんは、花登さんの作品に出演して、新境地を開拓します。

「大村崑が若い頃は「頓馬天狗」で大ブレイク!」からの続き

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子供向けの番組で不動の人気を確立

「ダイハツ・ミゼット」のCMや「頓馬天狗」などで子供に絶大な人気を博した大村さんは、「劇団 笑いの王国」解散後も、1965年には、「日清ちびっこのどじまん」の2代目司会者に抜擢されると、子供たちの人気に支えられて、1969年まで4年間に渡り司会を務め、

1971年には、「おはよう!こどもショー」の1コーナー「こんちゃんのトンカチうたじまん」で司会を務めると、こちらも4年半に渡る人気コーナーとなり、子供向け番組で安定した人気を誇ります。

テレビドラマ「細うで繁盛記」「どてらい男(やつ)」で新境地を開拓

また、1970年には、不仲となっていた花登筺さん原作・脚本のテレビドラマ「細うで繁盛記」で、主人公の加代(新珠三千代さん)を陰から支える板前・善三役、


「細うで繁盛記」より。大村さんと冨士眞奈美さん。

1973年には、テレビドラマ「どてらい男(やつ)」で、主人公の良き理解者である支配人・岡田役と、

これまでのコミカルな演技とは一転して、渋い演技を披露し、新境地を開きます。


「どてらい男(やつ)」より。(左から)大村さん、谷幹一さん、沢本忠雄さん、由美かおるさん。

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花登筺との関係が悪化の一途をたどる

そして、1972年には、花登さんが新たに結成した劇団「喜劇」に参加し、再び、劇団の座長に就任すると、屋台骨として劇団を支えたのですが・・・

花登さんとの関係は悪化の一途をたどったといいます。

というのも、大村さんは、座長だったにもかかわらず、以前から、「花登事務所」にギャラを管理されていて、ギャラがなかなか上がらなかったほか、大阪府豊中市にあった花登さんの自宅の北に、大きな家を建てた際にも、

花登さんから、

誰のおかげであんな大きな家を建てた

と、悪口を言われていたというのです。

「大村崑が花登筺と決別した理由とは?」に続く

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