若い頃は「日本で最もセクシーな女優」と称され、日本中の男性を虜にした、松坂慶子(まつざか けいこ)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、そんな松坂さんのプライベートをご紹介します。

「松坂慶子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き

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ウエスタン歌手の小坂一也と交際

松坂さんは、映画「夜の診察室」(1971)、NHK大河ドラマ「国盗り物語」(1973)などで注目を集め、人気絶頂だった1974年、22歳の時、テレビドラマ「阿蘇の女」での共演で知り合った、ウエスタン歌手で17歳年上の小坂一也さんと交際されています。


「阿蘇の女」より。小坂一也さんと松坂さん。

小坂一也が松坂慶子に一目惚れし十朱幸代と別れていた

とはいえ、小坂さんは、松坂さんと出会った年(1974年)のお正月に、長年連れ添った女優の十朱幸代さんと、内輪の結婚式(籍を入れない事実婚)を済ませたばかりで、

(小阪さんと十朱さんは、1959年、映画「惜春鳥」での共演をきっかけに交際すると、その後、長年、同棲生活をしていました)

そんな矢先(10ヶ月後)に、小坂さんが、テレビドラマ「阿蘇の女」で共演した松坂さんに一目惚れし、十朱さんの元を去っていました。

(十朱さんは、小坂さんに「好きな女性ができた」と打ち明けられ、すぐに松坂さんの名前が浮かんだそうで、何度も小坂さんを問い詰めたそうですが、小坂さんは、「僕が悪い」の一点張りだったそうで、最終的には、十朱さんが根負けして別れたのだそうです)

小坂一也は離婚会見で松坂慶子をかばっていた?

そんな経緯があり、1975年、小坂さんが(十朱さんとの)離婚の記者会見を開くと、

記者からは、

十朱さんとの離婚の原因は、松坂さんですか。

と、聞かれ、

小坂さんは、曖昧に言葉を濁しながらも認めています。

ただ、小坂さんは、(松坂さんをかばってか)自身が松坂さんを一方的に好きになってしまったと強調しています。

十朱幸代の離婚会見では松坂慶子に関して沈黙

一方、十朱さんも離婚会見を開いているのですが、

記者から何度、離婚原因が松坂さんかと問いただされても、その度に、

何も申し上げられません

と、沈黙を保ち、

最終的には、十朱さんの後見役として会見に同席していた芸能評論家の藤原いさむさんが、見かねて、

私見だが、彼女(松坂さん)が原因だと思う

と、それを認める発言をしています。

松坂慶子は格差恋愛も小坂一也に癒やされていた

さておき、松坂さんと小坂さんは、結婚を前提に都内のマンションで同棲生活を開始するのですが、NHK大河ドラマ「国盗り物語」(1973)に出演し、一躍、全国的な人気を博すと、翌年にも、NHK大河ドラマ「元禄太平記」に出演するなど、人気絶頂の松坂さんに対し、小坂さんはというと、仕事は年に数本のドラマぐらいと低迷しており、今でいう、格差のある関係。

それでも、この頃、仕事や人間関係に疲れ切っていた松坂さんは、「自分を大切にしなさい」と気遣ってくれる小坂さんに癒やされていたといいます。

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「略奪愛」という言葉に松坂慶子の父親が激怒

そんな松坂さんは、週刊誌に、「略奪愛」と書き立てられたのですが、今度は、その記事を読んだ松坂さんのお父さんが激怒。

(「略奪愛」という言葉は、この時、初めて使われたようです)

お父さんは、取材に対し、

家庭を壊したかもしれないが、慶子だって傷ついている。結婚しても不幸は目に見えている

と、怒りをあらわにすると、

娘である松坂さんに対しても、

付き合いをやめるか、親子との縁を切って結婚するか。どちらもできないなら死ね!

と、鬼気迫る勢いで、言い放ったといいます。

(なんと、小坂さんは、十朱さんと別れる前に、松坂さんの実家に結婚を許してくれるよう挨拶に行っていたそうで、当然ながら、松坂さんのお父さんは、激怒して小坂さんを追い返していたそうです)

こうして、松坂さんは、すっかり世間から悪女扱いされてしまうのですが、そのことに絶えられなくなったのか、2年もしないうちに、小坂さんとの関係を断ち切ったと言われています。

「松坂慶子は深作欣二監督と不倫関係だった?」に続く

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