早稲田大学在学中、劇作家のつかこうへいさんと出会うと、すっかりつかさんのお芝居に夢中になり、アルバイトで生計を立てながら、「つかこうへい事務所」でお芝居を続けていた、平田満(ひらた みつる)さんですが、突然、大きな運が巡ってきます。

「平田満は昔つかこうへいに魅了されて演劇を続けていた!」からの続き

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映画「蒲田行進曲」で一躍ブレイク

つかこうへい事務所」に入所するも、一つの舞台が終わると、つかさんと音信不通になり、次があるのかも分からない中、アルバイトで食いつなぎ、つかさんから招集がかかればすぐに駆けつけ、芝居に打ち込む、という生活を送りながら、舞台俳優としてキャリアを積んでいた平田さんですが、

1982年には、つかさんの同名小説を原作とする深作欣二監督映画「蒲田行進曲」で、メインキャストの大部屋俳優・村岡安次(ヤス)役に抜擢されると、映画は17億6千万円を売り上げる大ヒットを記録。

平田さんも、「日本アカデミー賞最優秀主演男優賞・新人俳優賞」「報知映画賞最優秀主演男優賞」をはじめ、数々の賞を受賞し、たちまち脚光を浴びます。


「蒲田行進曲」より。

ヤス役は突然の抜擢だった

実は、この「蒲田行進曲」、映画化される前、舞台でも上演されており、平田さんは別の役で出演していたのですが、

舞台が映画化されるにあたり、突然、つかさんから、

おまえと風間(杜夫)で映画をやるから

と、メインキャストのヤス役へ大抜擢されたそうで、

平田さんは、

映画は映画の人がやるもんだと思っていたので、まさか出るとは。どんないきさつで僕になったのかは全く知りません。つかさんに「お前、今度映画に出るぞ」っていきなり言われて。

舞台では柄本明さんがヤスをやっていて。その舞台には僕も出ていましたから、稽古の段階からつかさんの言葉は聞いていました。つかさんの世界観が凝縮されているなあと思いました。かなりテンションの高いというか、中身の詰まった芝居だと思っていました。

それが直木賞をとって映画になって。ですから、自分がどうこうよりも、つかさんの言葉が一般の人にも受け入れられ、面白く観てくれているということが嬉しかったですね

と、語っています。

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「東映京都撮影所」は怖い所だと聞いていた

ちなみに、撮影は、「東映京都撮影所」で行われたそうですが、平田さんは、「東映京都撮影所」は怖い所だと聞いていたため、

ペーペーなので大きな顔をしなければいいだろう

みんな怖い人だから目を合わせないようにしよう

と、気をつけていたそうで、

当時は、俳優が演劇と映像を掛け持ちすることが少なかったため、平田さんは、映画の撮影についてはほとんど分からなかったこともあり、何を言われても、「はい」と答えていたそうですが、それが功を奏したのか、軋轢(あつれき)などは全くなく、無事に過ごすことができたそうです(笑)

「平田満は深作欣二監督や松坂慶子に気遣ってもらっていた!」に続く

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