1960年、横山ノックさんに漫才に誘われ、轟盛次さんと3人で「漫画トリオ」としてトリオ漫才をスタートすると、風刺の利いた漫才で、たちまちブレイクした、上岡龍太郎(かみおか りゅたろう)さんですが、1968年に「漫画トリオ」が活動休止となり、ピンとなるとパッとしなくなります。しかし、その後、再び、横山ノックさんに誘われて、司会者として再ブレイクすると、その後は、「鶴瓶 上岡パペポTV」で、ポスト「たけし・さんま」と言われるまでになり、東京進出に成功します。

「上岡龍太郎は昔「横山パンチ」名義で横山ノックと「漫画トリオ」でブレイク!」からの続き

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「漫画トリオ」活動休止によりピンに転向

「漫画トリオ」でたちまち人気を博した上岡さんですが、1968年には、横山ノックさんが参院選に出馬したのをきっかけに「漫画トリオ」は活動休止に。

やむなく、上岡さんは、ピンでの活動に転じ(芸名も、本名の「小林龍太郎」から「上岡龍太郎」に改名)、大阪と名古屋のラジオ番組でMCをするのですが・・・

ピンではパッとせず、鳴かず飛ばずの状態が続きます。

(ちなみに、当時、上岡さんは、番組内でハガキを読む前などに、「え~」と言う癖があったそうですが、ラジオ大阪のディレクターからそのことを指摘されたそうで、以来、絶対、会話の中で「え~」とは言わないと決意し、「え~」の代わりに、常套句や和歌・俳諧など、昔からある言葉を使うようになったそうです)

「ノックは無用!」の司会で再ブレイク

そんな中、再び、横山ノックさんに誘われて、1975年には、トーク番組「ノックは無用!」、1976年には、ゲーム形式の恋愛バラエティ番組「ラブアタック!」で、ノックさんとともに司会者としてコンビを組むと、番組は高視聴率を記録。

上岡さんも、その、立て板に水の流暢な話術で、たちまち人気を博し、司会者として大きな飛躍を遂げます。

(以降、「ノックは無用!」は22年も続く長寿番組となっています)


「ノックは無用!」より。横山ノックさん(左)と上岡さん(右)。

「鶴瓶 上岡パペポTV」で東京進出に成功

そんな上岡さんは、1987年には、笑福亭鶴瓶さんと組んだ、台本・打ち合わせ無しで60分間のトークを行う「鶴瓶 上岡パペポTV」が、大阪ローカルでスタートすると、

上岡さんが、鶴瓶さんの話に揚げ足をとるようにツッコミを入れるのを基本に、時折、上岡さんがボケ、鶴瓶さんからツッコまれるなど、絶妙な掛け合いで、近畿圏を中心に絶大な人気を博し、翌年1988年10月からは東京でも放送がスタート。

ちなみに、この番組を観た東京のテレビ制作者は衝撃を受けたそうで、上岡さんを、ポスト「たけしさんま」として、東京のテレビでも起用しようという機運が高まっていったそうです。


「鶴瓶 上岡パペポTV」より。笑福亭鶴瓶さん(左)と上岡さん(右)。

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笑福亭鶴瓶との出会いは超能力がきっかけだった

ところで、上岡さんと鶴瓶さんの出会いは、1970年代前半だったそうで、まだ駆け出しの落語家だった鶴瓶さんは、早く活動の場がほしかったため、当時流行していた超能力に目をつけ、自分は超能力を使えると言って、インチキの超能力でテレビやラジオに出演するようになっていたのですが、

周囲のほとんどが鶴瓶さんの超能力を信じる中、もともと、超能力や霊媒師など心霊モノを信じていない上岡さんだけは疑い、また、そんなインチキを平気でする鶴瓶さんの人間性を疑っていたそうです。

しかし、鶴瓶さんからその理由を正直に説明されると、上岡さんはその心意気に大いに賛同。このことが縁となって、お互いの楽屋を訪れるようになったそうで、この「鶴瓶 上岡パペポTV」につながっていったのだそうです。

「上岡龍太郎は昔「探偵ナイトスクープ」の収録中激怒して退場していた!」に続く


「鶴瓶 上岡パペポTV」より。(クリックでyoutube)

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