2020年3月29日に志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎で他界し、様々なメディアで、志村さんへの想いを語っていた、笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)さんですが、志村さんのみならず、志村さんの家族とも親交を深めていたといいます。

「笑福亭鶴瓶は志村けんの死に打ちひしがれていた!」からの続き

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志村けんとの初対面前に志村の実家に訪れ家族と仲良くなっていた

2021年1月2日、「志村&鶴瓶のあぶない交遊録 大最終回スペシャル」に出演した際、志村けんさんのお兄さんの家(実家)に、志村さんのお線香を上げに行ったことを明かした笑福亭鶴瓶さんですが、

実は、「志村&鶴瓶のあぶない交遊録」で志村さんと初めて共演することになった、1998年、志村さんに好かれたいと考え、志村さんと会うより前に志村さんの実家を訪ね、そこで、志村さんの家族と写真まで撮るほど仲良くなっていたそうで、

そのことを志村さんに明かさないまま、後日、志村さんと一緒に実家を訪ねた際、「初めて来た」という風を装いつつ、実家には、鶴瓶さんと志村さんの家族が一緒に写った写真が飾ってある、というサプライズをし、志村さんを驚かせたことがあったそうですが、

鶴瓶さんが線香を上げに実家を訪れた際にも、その写真が飾ってあり、そのうえ、志村さんの遺影が鶴瓶さんとのツーショットから切り抜いたものであることを、志村さんのお兄さんから聞き、

鶴瓶さんは、

あんなにもいろんな所でたくさん写真を撮っているだろうに、こんなことある?

と、胸がぐっと熱くなったことを明かしています。


志村さんの遺影の基になったという、鶴瓶さんとのツーショット写真。

志村けん亡き後も「志村&鶴瓶のあぶない交遊録」の継続を望んでいた

また、鶴瓶さんは、「志村&鶴瓶のあぶない交遊録 大最終回スペシャル」(2021年1月2日放送)の冒頭で、これからも「ナインティナイン」の2人とこの「志村&鶴瓶のあぶない交遊録」を続けたいと、継続を望む発言をし、矢部さんと岡村さんに、「志村さんありきの番組」とのツッコミが入れられているのですが、

番組後半で、人気企画「英語禁止ボウリングゲーム」が終わった後には、

志村さんも喜んでいると思う。踏ん切りがついた、ありがとうございました

と、番組への感謝とともに、別れを告げています。

(「英語禁止ボウリング」は2001年から約19年間にわたり視聴者に親しまれてきた名物企画で、鶴瓶さんと志村さんがチームを組み、「ナインティナイン」の岡村さん、矢部さんとボウリング対決する中で、会話の中で英語を使うと、罰金を払わなければいけないルールがあるゲーム)

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志村けんへの尊敬の念を語る

そして、志村さんの死から1年が経った2021年4月11日、鶴瓶さんは、ラジオ番組「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」で、志村さんと親交の深かった歌手・吉幾三さんの「二人のブルース」を話題にし、その曲を流しているのですが、

(吉さんが作詞・作曲を手がけ、歌詞に「けんちゃん」が出てくるそうですが、鶴瓶さんは、共演のフリーアナウンサー・上柳昌彦さんから、この曲を教えてもらったそうです)

今もよく志村さんのコントもやってるし、昔の志村さんのものも出てます。亡くなってから分かった訳じゃないけど、凄い人やったんやな。

死んで人生が分かるいうんか、その人の生きざまが分かるいうんか、凄い人だったと思います

近かったからアホみたいに付き合うてたけど。何やろうね、あの凄さいうのは

と、改めて、志村さんへの尊敬の念を語ると、

続いて、志村さんの初主演映画となる予定だった映画「キネマの神様」の話に言及し、代役を歌手・沢田研二さんが務めたことに対し、

親友の沢田さんがやられるんで、それはそれでまた志村さんは喜んではる思いますけどね。これが楽しみですよね

と、亡き志村さんを偲んています。

さて、いかがでしたでしょうか。

笑福亭鶴瓶さんの、

について、まとめてみました。

今でこそ、穏やかな笑顔も、若い頃はその破天荒なキャラで何度もテレビ局を出入り禁止となっていた笑福亭鶴瓶さん。それでも、多くの人の尽力により復帰し、ここまで長年に渡って活躍できているのは、唯一無二の話芸はもちろん、その人柄の賜物だったようです。

一般人で言えばとっくに引退している年齢ですが、鶴瓶さんにはまだまだ頑張ってもらいたいものです♪

「笑福亭鶴瓶は小学生の時40万円の馬券を当てていた!」

お読みいただきありがとうございました

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