長女の安藤桃子さんは映画監督、次女の安藤サクラさんは女優と、2人の娘さんが活躍している、安藤和津(あんどう かず)さんですが、実は、自身の幼少期を反面教師にして、子育てをしていたといいます。
「安藤和津の娘は安藤桃子(長女)と安藤サクラ(次女)!」からの続き
自身の幼少期を子育ての反面教師にしていた
安藤さん自身は、幼い頃、お母さんの仕事が忙しく、乳母に育てられたそうですが、「あれは駄目、これはしちゃいけない」と、とても過保護に育てられたそうで、
それがお母さんの愛情からだということは分かっていたものの、このことが原因で、小学生の頃は虚弱体質だったほか、仲間はずれにされたり、イジメに遭ったりと、辛いことが多かったことから、将来自分が親になった時には、正反対の方法で子育てしたい、と思うようになっていたそうです。
子育てでは想像力と創造力を養うよう努めていた
実際、娘たちが生まれると、学校の成績よりも、生きていくうえで必要なイマジネーション(想像力)とクリエイティビティー(創造力)といった「人間力」を身に着けさせて、自ら創意工夫する力を養ってもらいたいと、伸び伸び成長できる環境を与えることに努めたそうで、娘たちとは毎晩のように自由に物語を作って遊んだそうですが、
安藤さん自身が、これまでの人生の中で、子育てしている時が一番楽しい時間だったそうです。
(ちなみに、安藤さんは、何かを表現する人になってくれたらいいな、という期待は持ちつつも、それを口に出したことはなかったそうですが、姉の桃子さんは、奇想天外なストーリーを考えるのが上手で、妹のサクラさんは、声色を使い分けて役を演じるのが上手だったそうです)
現在は孫の世話に夢中
そんな安藤さんは、近年は孫育てに大忙しで、特に、長女・桃子さんが2018年に離婚した後は、桃子さんが住む高知へ出向き、安藤さんが桃子さんのワンオペ育児をサポートしているそうです。
また、娘たちの海外出張にも、孫を連れて同行しているそうで、エッセイの執筆など、自身の仕事がある時は東京に戻って原稿を書き、それが終わると、再び娘たちのもとに戻って孫の面倒を見ているそうですが、
安藤さんは、
やる気満々だったんです、孫育て。孫に会いたい気持ちだけで行くんです。世話しているんだか、されているんだか(笑)孫にかかわることが、私の中に残っていたうつの種みたいなものを、背中を叩いて出してくれた。
孫の世話も介護も同じことを繰り返しやるんですが、結局介護の未来は看取ることしかない。でも孫は未来がある。同じ作業でも癒され方も違います。
70才を過ぎてやることが山積みなのは、大変だけど嬉しい。何しろ年寄りは、役に立てるっていうのが幸せですから
と、孫と関わることが元気の源となっているそうです。
ちなみに、夫の奥田瑛二さんも、積極的に孫育てを手伝っているそうで、
今日も奥田が高知へ行っています。奥田はメチャクチャいいおじいちゃん。「瑛じぃ(奥田)が孫を抱いたら3分で寝る」っていうくらい、寝かしつけ上手なんです!
と、今は、夫婦で孫に夢中のようです♪
さて、いかがでしたでしょうか。
安藤和津さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?旧芸名は犬養和
- 祖父は元内閣総理大臣の犬養毅
- 五・一五事件で暗殺された犬養毅の最期の言葉は「話せば分かる」だった
- 家系図
- 父親は元法務大臣の犬養健氏、母親(妾)は芸者
- 少女時代はお姫様のように育てられていた
- 中学の時には東京・千代田区の麹町に引っ越し
- 幼い頃から境遇を理由にイジメに遭っていた
- 中学で不登校になるも母親の言葉で立ち直る
- 父親が他界後は母親から「宝物」と呼ばれた
- 20歳になると母親つきっきりで花嫁修業
- 母親から突然イギリス留学を命じられる
- イギリスでの暮らしは窮屈だった
- イギリスで初めて生活の術を学ぶ
- 帰国するも母親からは就職も禁止されていた
- 奥田瑛二との馴れ初め
- 毎日のように奥田瑛二に食事をご馳走していた
- 奥田瑛二の「よだれ」で母性本能に火がついた
- 奥田瑛二の世話を焼いていた
- 母親が奥田瑛二を気に入っていた
- 奥田瑛二が麻雀中に倒れる
- 母親に背中を押され奥田瑛二とスピード婚
- 結婚後は奥田瑛二が引っ張りだこに
- 結婚後は奥田瑛二に散々浮気されるも考え方を180度変換していた
- 奥田瑛二が1年に1日だけ良い人になることで離婚をとどまっていた
- 娘が誕生後は母親が面倒を見てくれていた
- 母親が作る弁当が腐っていた
- 母親は怒りを爆発させることが多くなっていた
- 母親の異変を気にしないようにしていた
- 敵対心むき出しの母親に憎悪を募らせるように
- 母親を見捨てることは出来なかった
- 母親が「脳腫瘍が原因の老人性うつ病と認知症」と診断される
- 暴挙が病気のせいだと知り母親を憎む気持ちが変化していった
- 母親を憎んだ後悔から母親が喜ぶことをするように
- 自宅で母親の介護をするも超ハードな毎日
- 誰もいないキッチンで叫んでいた
- 母親の在宅介護にこだわった理由とは
- 料理が作れなくなっていた
- 自殺を考えるほど切羽詰まり幻覚や幻聴も
- 介護うつと診断される
- 母親が他界した後も「燃え尽き症候群」のような状態で「うつ」が続いていた
- 喜怒哀楽がなくなっていた
- 家族の活躍も素直に喜べなくなっていた
- 家族に異変を指摘され逆ギレしていた
- 「介護後うつ」
- 「介護後うつ」が突然寛解
- 「介護後うつ」を抜け出せたのは孫の誕生がきっかけ
- 著書「“介護後”うつ 「透明な箱」脱出までの13年間」を出版
- 娘(長女)は映画監督の安藤桃子
- 娘(長女)安藤桃子は僧侶と結婚し出産も離婚
- 娘(次女)は安藤サクラ
- 娘(次女)安藤サクラは「カンヌ国際映画祭」でパルムドールを受賞
- 柄本佑は義理の息子
- 自身の幼少期を子育ての反面教師にしていた
- 子育てでは想像力と創造力を養うよう努めていた
- 現在は孫の世話に夢中
について、まとめてみました。
お母さんの壮絶な介護による「介護うつ」「介護後うつ」も癒え、ようやく、穏やかな時間を過ごしている安藤さん。これからも、素敵な家族の話題をたくさん提供し続けてほしいものです。
「『愛する人』安藤和津さん/安藤モモ子さんトークショー」(タップでyoutube)