父に俳優の奥田瑛二さん、母にエッセイストの安藤和津さん、姉に映画監督の安藤桃子さんを持つ、安藤サクラ(あんどう さくら)さんですが、今回は、両親について簡単にご紹介します。
「安藤サクラの家系図は?曽祖父は元内閣総理大臣・犬養毅!」からの続き
父親の奥田瑛二は天知茂の付き人だった
まず、お父さんの奥田瑛二さんは、小学5年生の時、大友柳太朗の「丹下左膳」を観て衝撃を受け、俳優に憧れると、俳優になるために体を鍛えようと、中学時代は野球部、高校時代はラグビー部で活動したそうで、
進路を決める高校3年生の時には、家族に俳優になる夢を打ち明けるたそうですが、春日井市議会議員だったお父さんは猛反対。
そこで、政治家になるために東京の大学で勉強して地元に戻ってくると嘘をついて、お父さんを説得し、議員の書生として住み込みで働くことを条件に、東京に行くことを了承してもらうと、
高校卒業後は、上京し、丹羽兵助代議士の自宅で住み込みの書生をしながら、明治学院大学法学部に通ったそうです。(大学在学中は演劇部で活動)
そして、2年後の21歳の時には、本格的に俳優を目指すため、その家も飛び出して、大学も中退すると、高校の先輩だった俳優の天知茂さんの弟子にしてもらおうと、何度も天地さんの自宅まで押しかけ(天地さんとは面識なし)、根負けした天地さんから付き人を許されたのだそうです。
奥田瑛二さん。
父親の奥田瑛二は子供向けテレビ「円盤戦争バンキッド」に出演していた
しかし、2年ほど経つと、天知茂さんのところからも夜逃げ同然に飛び出し、夜の世界で働いていると、お客さんから勧められ、モデルの仕事をするように。
すると、やがては、子ども向けテレビ番組「円盤戦争バンキッド」の主人公・天馬昇/バンキッドペガサス役で念願の(実質的な)俳優デビューを果たすのですが、その後は一向に芽が出ず、一時期は、ホームレスをしていたこともあったそうです。
「円盤戦争バンキッド」出演時の奥田瑛二さん(中央)。
父親の奥田瑛二は「男女7人夏物語」でブレイクほか映画監督も
そんな中、知人のパーティーで、安藤和津さんと知り合い、その後、1979年に結婚すると、一気に風向きが変わり、
同年、自ら監督に交渉して出演が決定した、映画「もっとしなやかにもっとしたたかに」で、ヒロインに振り回される男の役を演じると、その演技が認められ、
続く、映画「もう頬づえはつかない」でも、ヒロイン・桃井かおりさんの相手役を演じて一躍脚光を浴び、その後も、「金曜日の妻たちへIII 恋におちて」(1985)、「男女7人夏物語」(1986)、「金曜日には花を買って」(1986)などのテレビドラマでたちまちスターダムに上り詰め、多くの女性ファンを獲得。
「男女7人夏物語」出演時の奥田瑛二さん。
そして、1986年には、映画「海と毒薬」での演技で「毎日映画コンクール男優主演賞」を受賞し、実力派俳優の地位を確立すると、その後も、数多くのテレビドラマや映画に出演し、近年は、「少女〜AN ADOLESCENT」(2000)、「るにん」(2006)、「長い散歩」(2006)など、映画監督としても活動しています。
母親はエッセイストでタレントの安藤和津
さておき、安藤さんのお母さんの安藤和津(あんどう かず)さんは、祖父・元内閣総理大臣の犬養毅氏が妾との間にもうけた息子・犬養健氏(元法務大臣)が父親で、お母さんも健氏の妾だったそうですが、元芸者で、料亭を営んでいたお母さんのもと、裕福で何不自由なく育ったそうです。
安藤和津さん。
(和津さんは、非嫡出子として誕生しているのですが、後に認知されたそうです)
そんな和津さんは、20歳頃には花嫁修業に勤しみ、その後、2年間、イギリスへ留学するのですが、帰国後、知り合いのパーティーで知り合った、奥田瑛二さんと結婚。
結婚後は、NHKやCNNのキャスターとして活動するほか、ラジオ・テレビで司会やリポーターなども務め、1980年代後半からは、エッセイストとしても活動。
「オムツをはいたママ―母との愛と格闘の日々」(2004)、「“介護後”うつ 「透明な箱」脱出までの13年間」(2018)など、自身の認知症だった母親を介護した体験を綴ったエッセイなどを出版しています。
また、お昼の情報番組「バイキング」や「痛快TVスカッとジャパン」にも出演し、タレントとしても活動しています。
「安藤サクラの幼少期は姉・安藤桃子に全てコントロールされていた?」に続く