自身のことを姉の”作品”というほど、幼少期は、姉・桃子さんの命じられるがままに行動していたという、安藤サクラ(あんどう さくら)さんですが、一方、両親からはとても自由な発想の教育を受けていたそうです。

「安藤サクラの幼少期は姉・安藤桃子に全てコントロールされていた?」からの続き

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母・安藤和津からは「想像力」や「創造力」を磨く教育を受けていた

姉の安藤桃子さんからは、直接的に強い影響を受けたというサクラさんですが、

お母さんの安藤和津さんからは、学校の成績よりも、感性を磨く教育を受けて育ったそうで、

「想像力」や「創造力」、瞬時の判断力など、生き残ることができる力を養えるようにと、毎晩のように、お母さんの和津さんと姉の桃子さんと一緒に、自由に物語を作る遊びをしていたそうです。

(安藤さんは、この頃から声色を使い分けて演じることが上手だったそうです)

父・奥田瑛二からは「1+1=3」と教えられていた

また、お父さんの奥田瑛二さんはというと、サクラさんが小学生の頃は仕事が忙しく、普段はほとんど家にいなかったそうですが、たまに家にいると、「1+1はなんだ?」と聞いてきたそうで、サクラさんが「2」と答えると、怒られるほか、

(「1+1=3」と教えられたそうです)

小学校で先生に言われたのとは違う色で絵を塗ったりすると、褒められたそうで(笑)、

そのため、お母さんは、しょっちゅう学校から呼び出されていたそうですが、お母さんからも、「絵を違う色に塗るのは構わないけど、先生の言っていることも理解するようにしようね」と、優しく言われたそうで、

そのような自由な環境で育ったためか、授業中、みんなと同じようにじっと黒板を見ていることができず、小学校3年生以降は、しょっちゅう先生から呼び出しされるような、(サクラさんいわく)ダメな子に育ってしまったのだそうです。

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5歳で女優になると宣言するもやがて女優への想いを封印していた

そんなサクラさんは、5歳の時、お父さんの奥田さんが舞台で稽古する姿を見て、

ちゃくら(さくら)、あれになる!

と、女優になることを宣言していたそうですが、

お父さんが、たまに家にいる時、地味な格好でぼ~っとしている姿を見て、

俳優って地味な仕事だな

と、なおさら俳優に憧れたそうです。

ただ、ほかの人が「俳優は華やかな仕事」と言っているを聞くと、急に恥ずかしくなり、また、周りから、「お父さんが俳優だからそう言うんでしょ」と言われたくないと過剰に意識し、「女優になりたい」という気持ちを徐々に封印していったのだそうです。

(家族にも、「女優なんかやるわけない」と言っていたそうです)

「安藤サクラは中学時代ヤンキーに憧れボクシングジムに通っていた!」に続く

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