戦前・戦後にかけて、清楚な美貌と確かな演技力で舞台を中心に活躍すると、その後、テレビドラマや映画にも数多く出演し、近年は、NHK朝の連続テレビ小説「はね駒」「ええにょぼ」「どんと晴れ」「ちゅらさん」シリーズなどで、ほがらかで優しいおばあちゃんの役が定着した、丹阿弥谷津子(たんあみ やつこ)さん。今回は、そんな丹阿弥さんのご家族を紹介します。
「丹阿弥谷津子は戦時中は移動劇団で活動していた!」からの続き
夫は俳優の金子信雄
丹阿弥さんは、1957年11月、同じ「文学座」だった、俳優の金子信雄さんと結婚しています。
金子さんは、1952年には、黒澤明監督の「生きる」で丹阿弥さんと共演しているのですが、同年には演劇観の違いから「文学座」を退団すると、木村功さんたちと「青年俳優クラブ(青俳)」を結成。
その後、1966年には丹阿弥さんと劇団「新演劇人クラブ・マールイ」を結成し、松田優作さんも在籍していたそうですが、 1973年には、映画「仁義なき戦い」でずる賢い山守義雄組長役を演じてたちまちブレイク。
そして、1987年には、仁侠映画のヤクザとは一転、料理番組「金子信雄の楽しい夕食」で人気を博しました。
(1995年、細菌性敗血症のため71歳で他界)
丹阿弥さんと夫の金子信雄さん。
息子(次男)は朗読劇の演出家・金子こうじろう
そんな金子さんと丹阿弥さんの間には、男の子が2人誕生しているのですが、高橋克典さんのブログによると、次男は、朗読劇の演出家・金子こうじろうさんだそうです。
高橋克典さん(左端)のブログより。中央がこうじろうさん。
こうじろうさんは、1995年より、高嶋政伸さんとともに、「リーディングセッション heart of Wilderness」という朗読劇を主宰するほか、お母さんの丹阿弥さんの朗読劇の演出を手掛ているそうです。
(長男は情報がないことから、一般人と思われます)
阿弥周子とは?
ちなみに、丹阿弥さんを検索すると、「阿弥周子」というワードが出てきますが、おそらく、本阿弥周子(ほんあみ ちかこ)さんのことだと思われます。
ただ、丹阿弥さんと本阿弥さんは名前が似ているだけで、全く何の関係もありません。
ちなみに、本阿弥さんは、1950年生まれで(丹阿弥さんより26歳年下)、1972年に、ポーラテレビ小説「吉井川」で主役を務めているほか、時代劇や「木曜ゴールデンドラマ」など2時間ドラマに数多く出演していましたが、1999年(49歳)以降は表舞台から遠ざかっています。
さて、いかがでしたでしょうか。
丹阿弥谷津子さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 父親は日本画家の丹阿彌岩吉
- 母親は桐塑人形作家、妹は銅版画家の丹阿弥丹波子
- 高校3年生の時「文学座」に研究生として入座
- 「富島松五郎伝」の端役で初舞台を踏む
- 「富島松五郎伝」での丸山定夫の演技に心を打たれる
- 新劇合同公演「桜の園」のヒロイン・アーニャ役で一躍脚光を浴びる
- 「桜の薗」でヒロインのアーニャ役に抜擢されて疎開先の信州から東京に戻る
- 「桜の薗」の相手役・千田是也は目を見て芝居ができなかった
- 「にごりえ」では主演、「東京のえくぼ」ではヒロイン
- 芥川比呂志らが杉村春子に反発し「文学座」を脱退して「劇団雲」を設立三島由紀夫が「文学座」の立て直しを図るも・・・
- 杉村春子らが戯曲「喜びの琴」の上演を拒否
- 「喜びの琴事件」で三島由紀夫らに続き「文学座」を脱退
- 戯曲「喜びの琴」では北村和夫が反共的なセリフを言うのを泣きながら拒否していた
- 戯曲「喜びの琴」での公安巡査・片桐のセリフとは?
- 戯曲「喜びの琴」では「毛唐や三国人が悪事」という表現もあった
- 戯曲「喜びの琴」では「松川事件」を連想させるシーンがあった
- 三島由紀夫は政治的なメッセージを込めた訳ではないと反論
- 三島由紀夫の「文学座の諸君への『公開状』――『喜びの琴』の上演拒否について」の内容とは?
- 三島由紀夫は「文学座」の座長・杉村春子を痛烈批判
- 三島由紀夫らとともに「劇団NLT」を結成
- 夫・金子信雄と「新演劇人クラブ・マールイ」を結成
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 受賞歴
- 「桜隊原爆殉難者追悼会」にゲスト出演
- 「桜隊」のメンバー9名全員が広島の原爆で被爆して死去していた
- 「桜隊」の隊長・丸山定夫との思い出
- 広島は特別な場所
- 夫は俳優の金子信雄
- 息子(次男)は朗読劇の演出家・金子こうじろう
- 阿弥周子とは?
について、まとめてみました。
戦前から芸能活動を続け、既に御年100歳間近という丹阿弥さん。さすがに現在は情報がなく、芸能活動はされていないようですが、この機会に、「東京のえくぼ」や「にごりえ」など、丹阿弥さんの昔の作品をご覧になってはいかがでしょうか。