リトルリーグ(野球)脱退後は、一旦、野球への熱い思いを封印し、親友の杉浦夏樹さんら友人たちと冒険に夢中になっていたという、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんですが、中学3年生の時、お父さんの長嶋茂雄さんが巨人軍の監督を解任されると、巨人軍への復讐の気持ちから、ついに野球を再開します。
「長嶋一茂はリトルリーグ脱退後は親友たちと冒険に熱中していた!」からの続き
父・長嶋茂雄が巨人軍の監督を解任される
中学生になると、野球をするには充分過ぎるほどの基礎体力がつくも、まだ、野球を再開する気にはなれなかったという一茂さんですが、
1980年、一茂さんが中学3年生に進級する頃、お父さんの長嶋茂雄さんの巨人軍監督の解任騒ぎが持ち上がり、巨人軍のフロントは、勝率5割以上かつAクラス入れば留任と言明したそうですが、長嶋監督がなんとかその条件をクリアするも、シーズンが終わった翌日には辞任が発表されたそうで、
(そのシーズンが始まる前、宮崎キャンプの頃から、長嶋監督解任の噂が流れていたそうですが、その裏には権力争いがあったそうで、新聞や週刊誌では、巨人軍OBによる「解任のシナリオ」や「陰謀」等の記事が掲載されていたそうです)
この出来事をきっかけに、一茂さんは野球を再開する決意をしたといいます。
父・長嶋茂雄を解任した巨人軍に対する復讐の気持ちから野球を再開することを決意
実は、一茂さんにとって、お父さんの解任は、昔の武士の家で言うなら、当主が切腹を命じられたみたいなものだったそうで、
(子供だったため、その当時の事情がすべて飲み込めていたわけではないものの)
お父さんを切り捨てた巨人軍に対し、ひどく腹を立て、「こうなったら俺が、あいつらを見返してやる」と、お父さんの敵討ちをするという気持ちから、野球を再開する決意をしたのだそうです。
そして、復讐という言葉が、毎日頭の中を駆け巡ったそうで、英語の辞書をひくと、復讐は「リベンジ」と出ていたことから、身の回りにあったあらゆるもの(鉛筆、筆箱、カバンなど)に「リベンジ」と書きつけ、それでも飽き足らず、(悔しい気持ちをいつまでも心に刻んでおくため)部屋の窓枠や廊下の壁にまでカッターナイフで「リベンジ」と彫ったのだそうです。
心に思い描いていた巨人軍への復讐のシナリオとは?
ちなみに、一茂さんが心に思い描いていた巨人軍への復讐のシナリオというのは、
まず、俺が世界一の野球選手になる。誰も打てないような特大の場外ホームランを年に50本も、60本も打つような型破りのスーパーヒーローだ。
そうなれば、当然のごとく読売巨人軍は俺の獲得に動き出す。俺はその誘いに乗って、巨人軍に入団する。それから、それまでにも増して、素晴らしい活躍をする。日本中の、いや世界中の野球ファンの目が俺に釘付けになるような。
そしてある日、優勝がかかった最高の試合、たとえばこの試合で巨人が勝てば逆転優勝が決まるという試合、しかも0対3で巨人が負けているような試合の9回裏、満塁という場面で俺がバッターボックスに入る。
俺はゆっくりと持ち上げたバットの先で、バックスクリーンの上を指す。予告サヨナラ満塁場外ホームランだ。スタジアムは割れんばかりの歓声。敵のピッチャーは、顔を真赤にしてふりかぶり第一球を・・・
ボールは当然のごとく、センターポールのはるか上を越えて暗い夜空へと消えていく。そのあまりの飛距離に場内はシーンと静まり返る。3人のランナーが次々とホームに還り、チームメイトたちに迎えられる。おれはその後を黙々と走って、ホームベースに近づく。さて、大切なのはここからだ。
俺はホームベースを踏む直前で立ち止まる。そこで、ホームベースを踏まずに、くるりと向きを変え、球場から消えてしまう。そしてそのまま球界を引退してやるのだ。
そこで初めて、巨人軍の経営陣は俺の怒りの大きさを思い知るというわけだ。
と、いうものだったそうで、
一茂さんは、このリベンジを成し遂げるため、まず、野球選手にならなければいけない、そのためには、当然のことながら、野球を再開しなければならないと思ったのだそうです。
親友の杉浦夏樹だけに高校で野球を再開することを打ち明けていた
ちなみに、一茂さんの親友・杉浦夏樹さんによると、二学期の期末試験の最中、一茂さんが神妙な顔をして、
なっちゃん、明日、重大な発表があるから、テレビを見てほしい
と、ポツリと言ったことから、
(杉浦さんは、連日の報道と日頃の一茂さんのそぶりで、一茂さんが父親の進退のことで気を揉んでいることが、分かりすぎるほど分かっていたことから、それだけで、何のことかピンときたそうです)
翌日、言われた通りテレビを見ると、長嶋監督の辞任発表&会見が放送されたそうですが、記者会見では、辞任という形をとっていたものの、それが事実上の解任であることは、子供の杉浦さんの目から見ても明らかだったそうです。
そして、それから一週間後、一茂さんが、再び、真剣な表情で杉浦さんの前にやって来ると、
俺、高校へ行って野球をやるから
と、言ったそうで、
杉浦さんは、その時の気持ちについて、
いよいよこの日が来たか。ずっと胸につかえていた何かがすっと取れるような気がしました
と、明かしています。
(一茂さんは、重要な決断を下すと、親友の杉浦さんだけには伝えていたそうですが、杉浦さんは、この時、一茂さんが何を言い出すのかなんとなく分かっていたそうです)
「長嶋一茂は高校時代に右肘を剥離骨折し医師に野球を辞めるよう言われていた!」に続く