野村克也監督やその取り巻きのコーチから毎日のように嫌がらせされる環境から逃れるため、ロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーリーグ1Aのベロビーチ・ドジャースの春季キャンプに参加した、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんは、1Aのシーズンを終え、帰国するも、14年ぶりの優勝目前だったヤクルトスワローズでは、居場所がなく、すぐに2軍に落とされ、そのままヤクルトは優勝。そんな中、父・長嶋茂雄さんが巨人の監督に就任したことから、巨人への移籍が決まります。

「長嶋一茂はドジャースのマイナーリーグに野球留学していた!」からの続き

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マイナーリーグ(1A)での成績がパッとしないまま帰国

アメリカの「トライ・アンド・エラー」式の教育方法が肌に合ったという一茂さんは、練習を重ねるうち、守備に関しては、かなり自信がついてきたそうですが・・・

バッティングの方は最後までパッとせず、結局、1Aでは、226打数53安打、打率2割3分5厘、本塁打7本という成績で終わり、2Aに上がることができなかったそうで、シーズン終了から2日後の(1992年)9月4日に帰国します。

帰国するもヤクルトスワローズは14年ぶりの優勝目前で出る幕がなかった

すると、一茂さんは、9月6日にチームに合流するのですが、サードのハウエル選手が絶好調で、後半戦だけで19本もホームランを放っていたうえ、この年、ヤクルトスワローズは、14年ぶりの優勝を目前に快進撃を続けていたそうで、

リーグ優勝をかけて最後のラストスパートに入っている時に、野村克也監督がアメリカでもパッとしなかった一茂さんを使うはずもなく、まもなく一茂さんは二軍に落とされると、そのまま、シーズンが終わるまで、二軍に埋もれたまま、一軍に上がることができなかったのだそうです。

(野村監督は、良くも悪くも、一茂さんへの関心を失っており、一茂さんがフロリダから帰ってから、一度も声をかけることなく、また、会おうともしなかったそうです)

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父・長嶋茂雄が巨人監督に復帰したことで巨人に移籍(金銭トレード)

結局、この年のペナントレースは、ヤクルトスワローズが14年ぶりに優勝し、シーズンが終わったそうですが、そんな中、お父さんの長嶋茂雄さんが巨人軍監督に復帰したそうで、マスコミの関心は、一気に、一茂さんが「新生長嶋巨人」に入るかどうかに集中。

すると、ヤクルトスワローズの桑原潤オーナーが、スポーツ新聞の取材に対し、

長嶋新監督がどうしても一茂を欲しいというなら移籍を前向きに考えなくちゃいけないだろう

と、答えたことから、

長嶋監督も、この桑原オーナーの発言に答えるかのように、言葉を選びながらも、一茂さんを獲得する意思があることを明らかにしたそうで、1992年12月22日には、一茂さんの巨人への金銭トレードが正式に発表されたのでした。

「長嶋一茂は巨人移籍直後は目覚ましい活躍をみせていた!」に続く

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