幼い頃から、賛美歌、唱歌、歌謡曲、アメリカン・ポップスと、ジャンルを問わず様々な音楽を聴き、やがては、自身の伴奏で歌を歌いたいと思うようになると、自分でギターを弾きながら歌うようになったという、小田和正(おだ かずまさ)さんは、高校3年生の時には、学園祭で、鈴木康博さん、地主道夫さん、須藤尊史さんと共に演奏を披露すると、大好評を博したといいます。
「小田和正は幼少期パチンコ屋の歌謡曲を聴きながら育っていた!」からの続き
中学生の時、映画「ティファニーで朝食を」の主題歌「ムーン・リバー」に衝撃を受ける
レコードの歌に合わせて歌うことだけでは満足できなくなり、自分でギターを弾き、自分の伴奏で歌うようになったという小田さんですが、
中学に入ると、映画「ティファニーで朝食を」を観て、その主題歌「ムーン・リバー」を聴き、「いい音楽だな」と思ったと同時に、映画にこんなふうに音楽をつける仕事もあるのかと驚いたそうで、
それを聞いているおれが感動するような、こんな仕事っていいな、いつかこんな仕事ができたらいいな
と、思ったこともあったそうです。
(「ムーン・リバー」は、数々の音楽映画を手掛けた作曲家・ヘンリー・マンシーニが、主演のオードリー・ヘップバーンが歌えるようにと、狭い音域のみで作った曲で、苦労した末に、最初の前奏の部分を思いつき、完成したそうですが、小田さんは、この前奏の部分に衝撃を受けたそうです)
「ティファニーで朝食を」で「ムーン・リバー」を弾き語るオードリー・ヘップバーン。(タップでyoutube)
「オフコース」のメンバー・鈴木康博との出会い
そんな小田さんは、中学は受験をして聖光学院(中高一貫校)に進学しているのですが、そこで、後に「オフコース」で一緒に活動する鈴木康博さんと出会ったそうで、
鈴木さんとは学校からの帰り道が一緒だったことから、ビートルズの「恋する二人」などをハモりながら帰っていたそうですが、小田さんは、鈴木さんの歌声を聴き、「あ、こいつはハモるな。こいつは歌えるぞ」と思ったそうです。
(鈴木さんと初めて出会ったのは、小学3年生の時、中学受験のために通っていた進学塾への通学途中の京浜急行の中だったそうですが、入学した聖光学院でも、また一緒になったのだそうです)
高校3年生の時、学園祭で初ステージを踏むと大好評を博していた
そして、その後も、小田さんは、賛美歌、唱歌、歌謡曲、アメリカン・ポップスと、音楽なら何でも聴いていたそうですが、
高校2年生の時には、学園祭(「聖光祭」)で先輩たち4人がホールでゴスペルをアカペラで歌っているのを見て、とてもかっこよく見え、来年あそこのステージに立つのは自分たちだと決意すると、
友人の鈴木康博さん、地主道夫さん、須藤尊史さんを誘い、「ブラザース・フォア」(1960年代に人気を博したアメリカの フォークソンググループ)などの曲を4~5曲練習したそうで、
高校3年生の時には、目標通り、「聖光祭」で、鈴木さん、地主さん、須藤さんと共にステージに立ち、演奏を披露すると、とても評判が良く、
先生からは、
君たちは二日目の閉会式の前に、もう一回演奏しなさい
と、言われたそうで、
小田さんは、インタビューをまとめた書籍「「100年インタビュー」保存版 時は待ってくれない」で、
「してください」じゃなくて「しなさい」と言ってくれて同級生もみんな、「オーッ」と盛り上がったけど、おれはやっぱりなって、ひそかに思ってた。
2日目の閉会式の前だから、お客さんはもう満杯ですよ。しかも、近くの学校の女子もたくさん来ていて。そこでやって、また大うけでね。すばらしい思い出です(笑)
と、語っています。
(「聖光祭」は2日間あり、小田さんたちは、初日の午前中というとても割の悪い時間帯にやることになったそうですが、ぜいたくは言えず、まあいいや、という気持ちで猛練習を重ねたそうですが、同時に、「自分たちがこんなに頑張っていいことをやろううとしてるのに、初日の午前中だけで終わるわけがない」と思っていたそうです)