ドラフト前に一度も挨拶に来なかった阪神タイガースから1位指名されたことから、入団を拒否し、社会人野球に行くことを明言した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、ドラフト会議の翌日に、阪神の佐川直行スカウトが挨拶に来ても、考えは変わらなかったそうで、そんな中、田淵さんを諦めきれない巨人の正力亨オーナーは、田淵さんを一度阪神に入団させ、後に巨人へ移籍させる「三角トレード」を考えていることを発表したといいます。
「田淵幸一は阪神のドラフト1位指名に入団拒否していた!」からの続き
阪神の佐川直行スカウトはドラフト会議の翌日に初めて挨拶に来た
阪神の佐川直行スカウトは、ドラフト会議の翌日11月13日の午後4時頃、初めて、田淵さんの自宅に挨拶にやって来たそうですが、
田淵さんは、
阪神へ行きたくないという気持ちは変わらない。今後何度交渉を受けても同じです
と、憮然(ぶぜん)とした顔で答え、
お父さんの綾男さんも、
本人の気持ちを尊重している。したがって阪神から誘われても考える余地がない。何度でも頭を下げて断るだけ
と、突き放したそうです。
(それでも、佐川さんはというと、「そのうち冷静になってもらえるだろう。せっせと通って誠意を示したい。江夏-田淵の黄金バッテリーは来年のうちの最大の売りですから」と、全く慌てることなく、球団に説明していたといいます)
巨人の正力亨オーナーが「三角トレード」を提案するも阪神の戸沢社長は否定
こうして、社会人野球入りが濃厚となっていた田淵さんですが、11月19日には、巨人の正力亨オーナーが、
田淵君を阪神が獲得し、巨人にトレードを申し込んできたら(三角トレード)、われわれは即座に応じる用意がある
と、発言したことから、
報道陣は、(もう水面下でトレードの動きがあるのかと)色めき立ったそうですが、
一方、阪神はというと、慌てふためき、戸沢一隆球団社長が、
何も聞いていないし、考えもない!
と、正力さんの発言を否定しています。
(現在の野球協約では、他球団へのトレードを前提とした契約(三角トレード)を禁止しているのですが、1968年当時のドラフト制度にはそれを禁止するルールはまだありませんでした)
巨人の正力亨オーナーは田淵にプロ野球界に入って欲しかった?
ちなみに、この時、正力さんが「トレード」と先走った発言をしたのは、阪神に目の前で田淵さんを奪い取られた悔しさからだったそうですが、プロ野球発展に賭ける熱い思いもあったそうで、
当時、プロ野球はまだ不安定な職業だったことから、多くの選手たちは、将来に何の保証もないプロではなく、社会人野球を選んでおり、
(実際、阪神は、第1回ドラフト会議の際、9人指名するも入団したのはわずか3人、第2回ドラフト会議では、14人指名するも入団したのはたったの5人だけだったそうです)
そんな中、正力オーナーは、
20年に1人の大物選手を惜(あたら)ノンプロ界に手放したらプロ野球の損失だ。どうにかして止めなければ・・・
と、語っていたそうで、
田淵さんには、なんとかプロ野球に入ってもらいたいとの思いもあったようです。
「田淵幸一の阪神入団は巨人スカウトとの密会がバレ止むを得ずだった!」に続く