2011年、星野仙一監督のもと楽天のヘッド兼打撃コーチに就任するも、早くも6月5日には、チームの極度の打撃不振から、打撃コーチを解任され、ヘッドコーチ専任となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、翌2012年には、ついにヘッドコーチも解任されてしまいます。
「田淵幸一が楽天のヘッド兼打撃コーチからヘッド専任となった真相とは?」からの続き
楽天のヘッドコーチも解任される
2011年には、深刻なチーム打撃成績の不振により、本来なら2軍に降格させられるところ、星野仙一監督の力で、ヘッド兼打撃コーチから、ヘッド専任という形で済んだという田淵さんですが、翌年2012年には、同シーズン終了を以って、ついにヘッドコーチも解任となってしまいます。
(田淵さん以外にも、1軍では本西厚博外野守備走塁コーチ、2軍では仁村薫野手総合巡回コーチ、広橋公寿育成チーフコーチが退団となっています)
というのも、チームは、2012年のシーズン、球団創設8年目で初めて前半戦をAクラスで折り返しているのですが、後半に失速して2年連続でAクラス入りを逃しており、楽天球団は来季こそはとクライマックスシリーズ進出を目指して、コーチに育成力と同時に作戦能力も求め、大幅にコーチ陣を見直す方針を固めたのだそうです。
ヘッドコーチ解任後はフロント入りすると噂されていたが・・・
ところで、チームが成績不振の場合、監督である星野さんが解任されるのが普通なのですが、監督が続投の場合は、ヘッドコーチが責任を取ってユニフォームを脱ぐことが多く、ヘッドコーチというポストは、その時のためにあるとまで言われており、田淵さんの解任は、決して不自然な人事ではないそうです。
ただ、星野さんの残留が、前半終了時点で決定し、夏頃から「田淵さんが辞める」という噂が流れ始めた時には、田淵さんは、ユニフォームは脱ぐものの、フロント入りして球団に残るのではと噂されていたそうで、
この噂を聞いた某スポーツ紙のデスクは、「さすが星野監督、親友に詰め腹を切らせることにならないように動いているんだな」と、思ったといいますが・・・
星野仙一は田淵幸一を守りきれなかった?
実際には、シーズン終了後、田淵さんはヘッドコーチを解任されたのみで、フロント入りはしなかったそうで、球団内での星野さんの力が落ちていることを証明することになり、
某ベテラン記者は、
そんな星野さんが学生時代からの親友を守れなかった。『田淵を切るのなら俺も辞める』と言ってほしかったし、かつてならそう言っただろう彼が、自分だけ生き残ってユニホームを着続ける・・・
と、語っています。
(星野さんは、中日の現役時代から「男」「闘将」というイメージがありますが、面倒見のいい上司としても有名だったそうで、引退した選手たちが星野さんのプッシュで評論家になった例は枚挙にいとまがないそうです)
ちなみに、気になる、その後の田淵さんと星野さんの関係ですが、2014年10月7日、星野さんの楽天監督退任セレモニーが行われた際、田淵さんはビデオメッセージを寄せているので、2人の友情は変わらなかったようです。
(星野さんは2018年にガンにより他界されています)