1956年シーズン終了後、阪神ナイン総勢14名により、監督退陣を求める意見書「監督退陣要求書」を野田誠三オーナーに提出された、藤村富美男(ふじむら ふみお)さんですが、最終的には、「監督退陣要求書」は撤回され、藤村さんの監督続投が決まったといいます。
「藤村富美男は監督時代に阪神ナインから「監督退陣要求書」を出されていた!」からの続き
鈴木龍二リーグ会長が巨人の水原茂監督、川上哲治、千葉茂に仲介役を依頼していた
阪神球団が、金田正泰さんと真田重蔵さんという主力メンバーの解雇を発表したことから、この内紛は広く世間の注目を集めることになり、社会的地位のある阪神ファンが仲介に乗り出すことが報道されるなど、大きな騒動へと発展したそうで、
鈴木龍二・リーグ会長は、巨人の水原茂監督と川上哲治さん、千葉茂さんの両選手を仲介役に要請したそうです。
川上哲治から金田正泰をチームに戻すように勧められていた
すると、藤村さんは、来阪した川上さんから、もう一度、チームに金田さんを戻すよう勧められたそうで、阪神電鉄本社の前田常務に申し入れをしたところ、「藤村がたってそういうのなら帰そう」と言われ、12月25日、金田さんと来季の契約を結ぶことが正式に発表されたそうです。
(真田さんは、この騒動とは関係なく、戦力外として、そのまま退団しています)
「排斥派」の選手たちが「監督退陣要求書」を撤回し監督続投が決定
そんな中、ほかの「排斥派」の選手たちは対応を迫られたそうですが、仲介に入っていた阪神ファンの神風正一さん(力士)のアドバイスもあり、「条件を付けて会社と折り合う」方針に変更したそうで、「退陣要求書」を撤回。
(戸沢一隆球団代表の説得で、頑なだった選手たちも徐々に軟化していたそうです)
そして、騒動は、藤村さんの続投(選手としては出場せず監督に専念)、金田さんを含むほかの選手の契約更改という形で決着したのだそうです。
監督時代の成績
それでは、最後に、藤村さんの監督時代の成績をご紹介します。
と、優勝はないものの、全てのシーズンでAクラス入りを果たしています。
「藤村富美男監督排斥事件に対する吉田義男と小山正明のコメントは?」に続く
(左から)金田正泰さん、戸沢球団代表、藤村さん(1956年12月30日)