1959年6月25日、プロ野球初の天覧試合(天皇が観戦する武道やスポーツ競技の試合)では、緊張のあまり、球が走らず、長嶋茂雄選手、坂崎一彦選手、王貞治選手にホームランを打たれてしまった、小山正明(こやま まさあき)さんですが、実は、もともと、王選手は苦手だったそうで、1962年には、王選手を抑える為、かねてから練習していたパームボールを使い始めたそうです。
「小山正明は天覧試合で長嶋茂雄と王貞治に同点本塁打を打たれていた!」からの続き
巨人の王貞治が苦手だった
抜群の制球力を身につけ、大阪(阪神)タイガースのエースとして活躍していた小山さんですが、実は、巨人の王貞治選手は、王選手がホームランバッターとして覚醒する前から苦手だったそうです。
というのも、王選手はボール球を振ってくれず、ちょっとでも球が甘くなると打ったそうで、王選手は、ベースの近くに立っていたため、厳しいコースに投げれば何とか戦いになるだろうと思っていたそうですが、選球眼が良かった王選手には、そんな厳しいコースの球も捉えられていたのだそうです。
王貞治を抑えるためにパームボールを使うことに
そんな中、1962年、小山さんは13完封して阪神の優勝に大きく貢献しているのですが、王選手には6~7本もホームランを打たれていたそうで
宿敵・ジャイアンツに勝つためには、王選手を抑えなければならないと考え、翌1963年、小山さんは、それまで練習し続けていたという、パームボールを使うことにしたそうです。
(小山さんは、もとより、宿敵ジャイアンツには、負けてたまるかという気持ちが強かったそうです)
パームボールをカージナル戦で駆使し、ことごとく三振を奪っていた
実は、小山さんは、当初はストレートとカーブを武器にしていたのですが、入団6年目の1958年、アメリカの野球雑誌に掲載されていたパームボールの握りを見て研究すると、
同年秋に来日したセントルイス・カージナルス戦で投げてみたところ、ことごとく空振りを奪っていたのだそうです。
パームボールを投げた時のキャッチャーの驚いたリアクションを見て味をしめていた
ちなみに、小山さんは、パームボールのほかにも、今で言うツーシームやフォークボールなど、いろいろ練習をしていたそうですが、ある時、パームボールをキャッチャーに黙って投げてみると、キャッチャーは、「なんや!あれ!」と驚いたそうで、
このリアクションに、小山さんは、「これこれ」と味をしめ、数多くの投球練習の中でも、特にパームボールの練習を重ねていたのだそうです。
(パームボールは、それまで、先輩で誰一人投げている人はいなかったそうです)
大毎オリオンズ移籍後はパームボールを駆使して30勝の最多勝を獲得していた
さておき、小山さんは、パームボールを使い始めた1963年には、王選手から1本も本塁打を打たれなかったそうで、同年、大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に移籍してからも、パームボールを駆使して(打たせて捕る投球スタイルに徹して)内野ゴロの山を築き、30勝12敗(通算200勝)で最多勝を獲得したのでした。
(大毎に移籍するまで(阪神時代)は、ストレートとカーブで十分だったため、王選手にしかパームボールを投げなかったそうです)
ちなみに、小山さんによると、パームボールとは、今で言うチェンジアップのようなものだそうですが、チェンジアップやツーシームよりも回転数が少なく、打者の手元で沈んだことから、落差に切れがあったのだそうです。
「小山正明は練習で暴投し三宅秀史の左目を大ケガさせていた!」に続く