ボクシング漫画「あしたのジョー」のラストシーンでは、当初、原作者である梶原一騎(当時・高森朝雄)さんが提案したものに疑問を感じ、ジョーが真っ白に燃え尽きるシーンに変更したという、ちばてつやさんですが、この、真っ白に燃え尽きる姿は、ちばさんの生き様そのものだったそうで、作中、ジョーと紀子のデートシーンでも、ジョーに自身を重ね合わせ、ジョーに生き様を語らせていたといいます。
「ちばてつやは「あしたのジョー」のラストシーンを不満で変更させていた!」からの続き
仕事に忙殺される毎日に「このまま仕事を続けたら死ぬ」と思い始めていた
ちばさんが、「あしたのジョー」を描き始めたのは、ちょうど30歳を過ぎた頃だったそうですが、17歳からずっと机にしがみついて漫画を描き続け、なかなかアイデアが出てこず、いつも締切に追われ、(楽しみにしてくれている読者をがっかりさせるものは描きたくないと思うことによるプレッシャーから)十二指腸潰瘍にもなり、寝る時間もないほど、忙しい生活が20年ほど続いていたそうで、
あ~、間もなくワシの命は終わるんだなぁ。これは・・・長生きできんな
と、このまま仕事を続けたら自分は死ぬなと感じ始めていたそうです。
(月刊誌であれば、編集者に原稿を渡せば3~4日くらいは休む時間があったそうですが、週刊誌は、ようやく描き終えて原稿を渡しても、すぐに次の締切が迫るという状況で、(普段から遅筆だったこともあり)自分のペースが分からなくなって睡眠不足が続いていたそうです)
「今のままの人生でいいのか」と自問自答する毎日だった
また、その頃、日本は右肩上がりの好景気で、若者たちはみんな(団塊の世代やその少し下の世代)、ディスコで踊ったり、海外旅行に行ったり、夏はハワイに、冬はスキーにと、青春を謳歌(おうか)していたそうですが、
ちばさんはというと、青春時代が終わり、おじさんになりかかっていたことから、
青春が、人生が終わってしまう。それでいいのか?!
と、自問自答するようになっていたのだそうです。
力石徹の葬式をきっかけにファンの気持を知り、「いつ死んでもいい」と思えるようになっていた
しかし、詩人で劇作家の寺山修司さんの発案で、ジョーのライバルである力石徹のお葬式が執り行われると、全国からファンが参列し、泣いてくれたうえ、中には、「人生が変わった、人生の目標ができた」などと言ってくれる人もいたそうで、
原作者の梶原一騎(当時・高森朝雄)さんと一緒に作り上げたキャラクターが、これほどまでに人に影響を与え、感動を届けられたことを知ると、
これほどやりがいのある仕事は他にないじゃないか、いつ死んでもいいから描き続けよう
と、自分に言い聞かせるようになったのだそうです。
「あしたのジョー」でのジョーと紀子のデートシーンでは自身の生き様を投影させていた
そんなちばさんは、この体験から、ボクシング漬けで殺伐とした生活をしていたジョーに、漫画漬けの自分自身の姿を重ね合わせ、ジョーにも1度くらいはデートさせてあげたいと思い、少なからず想い合っていた、乾物屋の紀子とデートさせるシーンを描いたそうで、
紀子が、
矢吹くんは・・・さみしくないの?
同じ年頃の青年が海に山に恋人とつれだって青春を謳歌しているというのに
矢吹くんときたら来る日も来る日も汗とワセリンと松ヤニの匂いがただよう薄暗いジムに閉じこもって なわとびをしたり 柔軟体操をしたり シャドー・ボクシングをしたり サンドバッグをたたいたり
と、ボクシング漬けのジョーに「そんな生き方でいいの?」と疑問を投げつつ、言葉の端々から好きだと伝えるも、
ジョーは、そんな紀子の気持ちに気づかず、
紀ちゃんのいう青春を謳歌するってこととちょっと違うかもしれないが 燃えているような充実感は今まで何度も味わってきたよ 血だらけのリング上でな
そこいらの連中みたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない ほんの瞬間にせよ 眩しいほど真っ赤に燃え上がるんだ
そして あとには真っ白な灰だけが残る・・・
と、自分の生き方は、ボクシングで燃えカスも残らない完全燃焼する信念を語っています。
(ちばさんは、このセリフに自分の思いを託したのだそうです)
そして、これを聞いた紀子は、
わたし ついていけそうにない・・・
と、ジョーから離れる選択をしているのですが、
ちばさんは、
この部分は原作にはなかったので、高森(梶原)さんには悪いことをしちゃった気持ちもありましたが、自分で描いていてすごく納得したシーンです。
と、語っています。
(このジョーと紀子のデートシーンは現在もファンの間で語り継がれる名シーンとなっています)
「ちばてつやは「あしたのジョー」のラストを編集者の助言で閃いていた!」に続く