弱冠13歳にして、歌舞伎座「独楽(コマ)」の独楽売万作役を演じるほか、16歳の時には、梅沢富美男さんの大衆演劇「梅沢劇団」の舞台で梅沢さんを嫉妬させる演技を見せるなど、少年時代からすでに芝居で頭角を現していたという、四代目市川猿之助(よんだいめ いちかわ えんのすけ)さんは、学業も成績優秀で、自己推薦入試で慶應義塾大学に進学すると、大学でも優秀な成績を修めたといいます。
「市川猿之助(4代目)の家系図は?本名は?屋号は?」からの続き
暁星中学・高校時代は成績優秀だった
猿之助さんは、フランス系カトリック校の名門で、東京大学など有名難関大学への進学率が高い中間一貫校の、暁星小学校・中学校・高校に通っていたそうですが、特に、国語と英語が得意で、中学・高校ではいつもトップ10に入るほど成績優秀だったそうです。
ちなみに、小学校から高校時代までの同級生は、
当時、猿之助は『キノシ』と苗字で呼ばれる事が多かったですね。おとなしいグループに属していて、いつも2、3人で追いかけっこしたり、校内に咲いてる花を友達と眺めたりしていました。
家族が歌舞伎関係者なのは知っていましたが、段四郎さんと聞いても当時はピンとこないし、キノシも歌舞伎の稽古をしているのだろうくらいにしか思っていませんでした。
歌舞伎の女形の練習をしていたこともあってか、小学校の頃から走り方や喋り方、ちょっとした仕草にツヤっぽさを感じさせるところはありました。
中学に進むと、まつ毛が長く目もとが綺麗で『歌舞伎役者ってすごいな』と思った覚えがあります。イジメとかとは無縁だったと思います
と、語っています。
(男子校だったことから、生徒たちは、休み時間や放課後は好きなアイドルや芸能人の話で盛り上がることがよくあったそうですが、猿之助さんはこの手の話題には興味を示さなかったそうです)
高校卒業後は慶應義塾大学に自己推薦入試で進学
そんな猿之助さんは、高校卒業後の1994年4月、自己推薦入試で慶應義塾大学に進学すると、歌舞伎の稽古や公演をこなしつつ、授業は一通り出席し、全ての科目でA(当時の最高評価)を目指すなど、学業に対して高い意識を持っていたそうで、
(大学の4年間は、歌舞伎はほとんど休業していたという話も)
猿之助さんは、
特に1年生のときはいろいろな経験を積もうと、あえて興味のない授業を取っていました
と、語っています。
ちなみに、慶應義塾大学を選んだ理由は、家族に慶大出身者が多かったことと、猿之助さんが通っていた三田キャンパスが家からとても近かったからだそうです。
(一方、徹夜で友人と麻雀をするなど、麻雀にも夢中になっていたそうで、夜中まで三田で麻雀をして、そのまま、大学へ行ったこともあったそうです。
大学時代も成績優秀だったため教授から大学院への進学を勧められていた
そんな猿之助さんは、大学でもトップの成績を収めていたため、大学卒業時には、教授から大学院への進学を勧められたそうで、歌舞伎を辞めて学者になることも考えたそうですが、最終的には、歌舞伎俳優になる決心をしたのだそうです。
ちなみに、猿之助さんは、大学生活について、
大学でできた友人関係は一生のものになりましたし、『慶大卒』というだけで仲間意識が芽生えて、社会でつながるということもあると思います
大学時代にもっと勉強すればよかったと今となっては思います
一つ一つの授業にどれくらいの価値があるかを知ることで、漫然と時間を過ごすことが少なくなると思います
就職のことだけを考えて4年間を過ごすのはもったいないです。例えば、長期休みにはたくさん時間がありますから、自分にとって驚きに満ちた体験ができる国へ旅行に行くというのはとてもいい経験になると思います
などと、語っています。
「市川猿之助(4代目)が伯父(3代目)から猿之助を継承した経緯とは?」に続く