幼少期に、父親の三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんに駆け落ち同然で家出され、母親の浜木綿子さんとその両親たちに育てられたという、香川照之(かがわ てるゆき)さんですが、25歳の時には、突然、公演中のお父さんの楽屋を訪ねるも、会ってくれるどころか、「息子でも父親でもない」と冷たく言い放たれていたといいます。
父・三代目市川猿之助に冷たく突き放されていた
香川さんは、1歳半の時、父親の三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんに駆け落ち同然で家出されているのですが(2歳の時には離婚)、
1991年2月、25歳の時、お母さんに内緒で、突然、三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんが公演を行っていた沼津を訪ねたそうで、
(お父さんには、恨みではなく、「生を授けてもらったことへの感謝」を伝えたかったそうです)
舞台の楽屋の入り口に震える足で立っていたそうですが、お父さんは、初めての息子の訪問を喜んでくれるどころか、会ってくれず、
付き人を通じて、
大事な公演の前にいきなり訪ねてくるとは、役者としての配慮が足りません
と、叱責され、
ぼくはあなたのお母さんと別れた時から、自らの分野と価値を確立していく確固たる生き方を具現させました。すなわち私が家庭と訣別した瞬間から、私は蘇生したのです。
だから、今のぼくとあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。したがって、ぼくはあなたの父でもない。マスコミに、猿之助が父だとか、彼に会いたいとか言わないほうがよいでしょう。
今後あなたとは二度と会わないけれど、そのことをよく心に刻んでおきなさい。何ものにも頼らず、少しでも自分自身で精進して、一人前の人間になっていきなさい
と、冷たく言い放たれてしまったといいます。
父・三代目市川猿之助に自分の存在を認めさせるため役者道に邁進していた
それでも香川さんは、お父さんを慕い続け、歌舞伎役者への憧れを捨てることができなかったそうで、いつか自分の存在を認めさせたいという一心で、役者道に邁進したのだそうです。
長男・政明が誕生すると歌舞伎界への思いが湧き上がっていた
そんな中、香川さんは、やがて、映画やテレビで人気を博すのですが、1995年に結婚し、2004年1月、長男の政明(現在の五代目市川團子)くんが誕生すると、
あらためて、自身の血統に目を向けるようになり、自分の息子に父親としての生き様を見せ、跡継ぎの系譜を残す使命があると考えるようになったそうで、
同時期、同窓会で香川さんと会ったという中高時代の同級生は、
男の子が生まれたときに、『この子は絶対に歌舞伎界だと決めた』と、興奮した様子で語っていたのが忘れられないんです。いつもの香川からすると、あのときは異様なテンションでしたね。『代々絶やしちゃいけないものだ。これは運命だ』と。『長男の血は絶対に守らなければならないんだ』とも強く言っていました
と、明かしています。
父・三代目市川猿之助が公演中に倒れ、後継者探しが始まっていた
一方、お父さんの三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんはというと、政明さんが誕生する前年の2003年11月、公演中に倒れ、後継者探しを始めたそうですが、
香川さん以外に子どもがいなかったため、弟子の市川右近さんが「猿之助」を襲名するのではと噂されました。
(当初は「脳梗塞」と言われていたのですが、後にパーキンソン病であることが判明しています)
「香川照之は40代でやっと父・市川猿之助(3代目)と再会を果たしていた!」に続く