大阪府・堺市にある実家が、もう10年以上も空き家のまま放置されて朽ち果て、近隣住民の間で困り事になっているという、六代目片岡愛之助(ろくだいめ かたおか あいのすけ)さんですが、実家は、今も、家族と過ごした思い出がつまるかけがえのない場所だといいます。
「片岡愛之助(6代目)の大阪・堺市の実家は放置され朽ち果てていた!」からの続き
地元・大阪府堺市への愛が強く、「堺市在住」と公言して本籍も実家に置いたまま
愛之助さんは、2023年現在、妻の藤原紀香さんと東京の高級マンションに住んでいるそうですが、なぜか、「堺市在住」とうたい続けているそうで、
2022年に堺市のホームページに掲載されたインタビューでは、
私は堺生まれで堺育ち、今も堺に住んでいます
大阪には年に2回、2カ月程滞在するだけですが、(中略)なぜ東京に引っ越さないのかというと、私が大阪、上方を好きだからです
と、地元愛を語るほか、
2014年からは堺市の親善大使を務め、
本籍も実家も堺
と、公言。
実際、愛之助さんは、二代目片岡秀太郎さんと養子縁組後も、結婚後も、本籍を実家に置いたままなのだそうです。
家族と過ごした実家はかけがえのないもの
というのも、両親と離れて暮らしていた期間が長い愛之助さんにとって、家族と過ごした実家はかけがえのないものだからだそうで、
愛之助さんの某知人は、
愛之助さんが養子縁組後も、さらに結婚後も本籍を実家に置いたままなのは、ここに“家族との絆”があるからです。
彼にとって堺の実家は家族とともに過ごした大切な場所であり、両親、妹と自分をつなぎとめる存在でもあります。妹名義とはいえ、建物を売ったり更地にしないのは愛之助さんの意向も働いているのでしょう
と、語っています。
また、愛之助さんは、「墓参りが趣味」と公言するほど、両親への想いが強く、好きな女性が現れるたびに一緒に墓参して両親に紹介し、新しい仕事が決まった時も報告のため必ず墓前を訪れているといいます。
(愛之助さんは、5歳の時に松竹芸能の子役オーディションを受けて合格し、松竹芸能に入ると、7歳で子役としてテレビドラマデビューを果たし、子役として活動するようになるのですが、そのかたわら、歌舞伎の稽古も始めており、小学2年生の時には、大阪・中座で歌舞伎の舞台に立つようになると、その姿を見た二代目片岡秀太郎さんに誘われて、その父親である十三代目片岡仁左衛門さんに弟子入りして梨園(歌舞伎界)入りすると、19歳の時には、秀太郎さんの養子になり、思い出の詰まった実家を去っていました)
家族との思い出が詰まった実家を空き家のまま放置している理由は?
それではなぜ、愛之助さんは、これほどまでに家族との思い出の詰まった実家を空き家のまま放置しているのでしょうか。
空き家問題に詳しい司法書士法人代表の椎葉基史さんによると、
大きさにもよりますが、空き家の解体費用の相場は200万円ほど。更地にして売れればいいが、場所によっては売れないリスクがあります。
また、住宅一戸につき200平方メートルまでの住宅用地は固定資産税が最大6分の1、都市計画税が最大3分の1まで減額される特例が適応されていますが、空き家を解体して更地にすると特例が適用されず、最大6倍の固定資産税を払うことになる。このような経済的負担の大きさから、空き家を放置する人が目立ちます
とのことで、
愛之助さんの場合も、経済的負担の大きさから放置しているのかもしれません。
空き家放置は様々なトラブルの温床となるため、何らかの対策が求められている
ただ、近隣住民も心配していたように、空き家放置は、台風などの自然災害で空き家の一部が倒壊して隣の家に損害を出すリスクや、ゴミの不法投棄、不審者の侵入、放火など、様々なトラブルの温床となることから、
愛之助さんの某知人は、
愛之助さんは離れて暮らした期間が長い分、亡くなった両親への思いが強いのでしょう。両親と一緒に過ごした実家は愛之助さんにとって特別な場所です。
ただし、家は住んでいないと朽ちるだけで、さまざまなトラブルを招きますし、多忙な愛之助さんが実家を管理するのも現実的ではありません。愛之助さんは家族の記憶が残る実家の今後について、何らかの決断を下すことを求められています
と、語っています。
さて、いかがでしたでしょうか。
六代目片岡愛之助さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?高校は?
- 本名は?屋号は?襲名は?
- 家系図
- 実家は貨物船のスクリュープロペラ製造工場で幼少期は裕福に育っていた
- 幼少期は家の中で遊ぶことが多く内向的な子供だった
- 5歳の時に松竹芸能の子役オーディションに合格
- 現代劇の舞台で子役として活動しつつ歌舞伎の舞台にも立っていた
- 十三代目片岡仁左衛門に弟子入りし京都南座「勧進帳」で片岡千代丸を襲名
- 当初は勉強ができなくなることから歌舞伎を辞める予定だった
- 血筋を重んじる歌舞伎界で与えられるのはセリフのない役ばかりだった
- 二代目片岡秀太郎から養子になることを持ちかけられていた
- 両親は二代目片岡秀太郎の養子になることを快く賛成してくれた
- 血筋を重んじる歌舞伎界での息子の将来を案じた母親が二代目片岡秀太郎に相談していた
- 母親は53歳で末期ガン、父親は56歳でくも膜下出血により他界
- 養父・二代目片岡秀太郎とともに「平成若衆歌舞伎」を旗揚げし宝塚歌劇団月組とコラボも
- テレビドラマ「半沢直樹」の元金融庁担当検査官の黒崎駿一役でブレイク
- 出演作品(歌舞伎)
- 出演作品(新作歌舞伎)
- 出演作品(舞台)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(映画)
- 受賞・受章歴
- 佐藤江梨子との馴れ初めは?
- わざわざ大阪から東京に佐藤江梨子の舞台を観に行っていた
- 元宝塚歌劇団雪組娘役トップスターの愛原実花との交際が報じられる
- 愛原実花との馴れ初めは?
- 佐藤江梨子と愛原実花を二股交際していた?
- 愛原実花とは2度破局していた
- 熊切あさ美との馴れ初めは?
- 熊切あさ美との交際を認めていた
- 熊切あさ美も片岡愛之助との交際を認めていた
- 養父・二代目片岡秀太郎も熊切あさ美との交際を認めていた
- 熊切あさ美とは結婚間近と噂されていた
- 熊切あさ美との破局と藤原紀香との密会が報じられる
- 熊切あさ美とは破局していないにもかかわらず藤原紀香のバックの芸能界の大物のお達しで破局報道がされていた?
- 藤原紀香との交際を否定するも体を密着させて恋人同士のように歩いていた
- 熊切あさ美と「別れた」「別れていない」で大揉めしていた
- 熊切あさ美にははっきり別れを告げたつもりだった?
- 熊切あさ美の”暴走”が恐ろしく刺激しないように言葉を選んでいた?
- 片岡愛之助はいつも女性にはっきりと別れを伝えない?
- 藤原紀香との馴れ初めは?
- 藤原紀香とは友達として交際するも次第にやすらぎを感じるようになっていった
- 当初は男女の仲になれば必ず別れがやってくると藤原紀香とは交際も結婚も考えていなかった
- 藤原紀香と会うことを事務所に止められ、会わないでいる間、心に穴が空いたように感じていた
- 妻・藤原紀香も片岡愛之助に対する気持ちが友情⇒尊敬⇒愛へと変わっていた
- 妻・藤原紀香との結婚生活は順調
- 子供は?
- 妻・藤原紀香は妊娠のために水素治療を行っている?
- 隠し子(婚外子)の存在を認めていた
- 息子の母親と出会ったのは二代目片岡秀太郎の養子となって「愛之助」を襲名し次第に大きな役が回ってくるようになった頃だった
- 大阪のマンションで親子3人で暮らしていたが、息子が4歳くらいの時に突然、家を出ていた
- 隠し子(婚外子)の息子とは良好な関係を築いていた
- 隠し子(婚外子)の息子には歌舞伎役者にこだわらず「自分の思う道を行ってほしい」と伝えていた
- 週刊誌「女性セブン」の直撃取材に対し、優しい父親の表情になっていた
- 隠し子(婚外子)の息子は片岡愛之助にそっくり
- 大阪・堺市の実家は放置されたまま朽ち果てていた
- 大阪・堺市の実家は近所の困り事になっていた
- 両親が他界後は近隣住民との交流がなくなっていた
- 地元・大阪府堺市への愛が強く、「堺市在住」と公言して本籍も実家に置いたまま
- 家族と過ごした実家はかけがえのないもの
- 家族との思い出が詰まった実家を空き家のまま放置している理由は?
- 空き家放置は様々なトラブルの温床となるため何らかの処置が求められている
について、まとめてみました。
2023年には、映画「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~」で、結婚後、妻・藤原紀香さんと初の夫婦共演を果たすと、歌舞伎「流白浪燦星(ルパン三世)」でも、紀香さんとの夫婦共演が決まった愛之助さん。
スキャンダル続きの歌舞伎界で安定した活動を続けている愛之助さんからは今後も目が離せません。
「片岡愛之助(6代目)の家系図は?実家は堺市の船のプロペラ製造工場!」