1995年、地元・兵庫県西宮市が阪神淡路大震災により被災したことで、人間はいつ死ぬか分からない、人生やりたいことをやらずに後悔して死にたくないとの思いから、東京行きを決意した、藤原紀香(ふじわら のりか)さんは、当初は、六畳一間の部屋で倹約生活を送るも、1990年代後半には大企業のCMに次々と出演して「CMの女王」と呼ばれるようになり、2000年には「紀香カット(ヘア)」が若い女性たちの間で一大ブームとなるなど、大ブレイクを果たします。

「藤原紀香は阪神淡路大震災がきっかけで上京を決意していた!」からの続き

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上京した当初は六畳一間の部屋で倹約生活を送っていた

実家が阪神大震災に被災したことをきっかけに、人間はいつ死ぬか分からない、人生やりたいことをやらずに後悔して死にたくないとの思いから、上京した紀香さんですが、

当初は、学芸大学駅近くの、ほとんど三角形に近い六畳一間の部屋で暮らしつつ、オーディションを受ける日々で、なかなか合格できず、貯金は減る一方だったそうで、食事はお母さんが送ってくれたお米と(手作りの)梅干しのみという倹約生活を送っていたそうです。

(アパートの下がお好み焼き屋さんで、そこから上ってくるお好み焼きの匂いをおかずに白米を食べていたそうです)

「ラブジェネレーション」「ハッピーマニア」で脚光を浴びる

そんな紀香さんは、スーパーモデルのシンディ・クロフォードさんが放つ存在感や圧倒的なボディバランスに憧れ、トイレを含め部屋中いたるところに、シンディ・クロフォードさんの写真を貼っていたそうですが、

1997年、木村拓哉さん主演のテレビドラマ「ラブジェネレーション」へ出演すると、これをきっかけに、大きな仕事が来るようになったそうで、

1998年には、安野モヨコさんの同名漫画を原作とするテレビドラマ「ハッピーマニア」で、主人公の重田加代子(稲森いずみさん)の親友で、いつも加代子のことを気にかけ、時に辛辣(しんらつ)な意見でお説教をする、まるで母親のような「フクちゃん」こと福永ヒロミ役で一躍脚光を浴びます。


「ハッピーマニア」より。稲森いずみさんと紀香さん。

「CMの女王」と呼ばれるほか「紀香カット(ヘア)」が大ブーム

そして、1998年には、女優業と並行し、カネボウ、Jフォン(現・ソフトバンク)、ブルボン、富士フィルム、三菱自動車工業 ファイター、大塚ベバレジなど、大手企業のCMに多数出演して「CMの女王」と呼ばれるほか、

2000年には、紀香さんのヘアスタイルが、「紀香カット(ヘア)」と呼ばれて大ブームになるなど、大ブレイクを果たしたのでした。


「紀香カット(ヘア)」

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「紀香カット(ヘア)」は首が短く顔が丸いというコンプレックスを隠すために作られたものだった

ちなみに、「紀香カット(ヘア)」は、人気美容室「ヘアーディメンション」の宮村浩気氏が手掛けたもので、コンプレックスだったという、首が短く顔が丸いところを、隠して美しく見せるよう、作り上げられたものだったそうで、

(宮村氏は、紀香さんがまだ売れていなかった頃からヘアスタイルを担当していたそうです)

宮村氏は、「ほぼ日刊イトイ新聞」のインタビューで、

紀香ヘアと紀香メイクで日本中をいっぱいにしよう

と、紀香さんと語り合ったことを明かしています。

(ちなみに、美容室「ヘアーディメンション」は、昭和の時代には、松田聖子さんの「聖子ちゃんカット」も手掛け、こちらも一大ブームを巻き起こしています)

「藤原紀香のデビューからの出演ドラマ映画CM舞台を画像で!」に続く

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