1985年シーズンは、開幕3試合で、15打数2安打6三振、本塁打ゼロながら、開幕4試合目の4月17日、甲子園での巨人2回戦で、掛布雅之選手、岡田彰布選手と共に、バックスクリーン3連発を放った、ランディ・バース(Randy Bass)さんは、その後、絶好調となり、最終的には、打率3割5分、54本塁打、134打点という驚異的な成績で三冠王に輝いているのですが、その背景には、頭脳的なバッティングのほか、相手投手のクセを見抜く鋭い観察眼があったといいます。
「ランディ・バースは3者連続バックスクリーン弾の後絶好調となっていた!」からの続き
1985年は三冠王に輝く活躍で阪神のリーグ優勝と日本一に大きく貢献していた
1985年シーズンは、開幕3試合で、15打数2安打6三振、本塁打ゼロだったにもかかわらず、4月17日の甲子園での巨人2回戦で、バックスクリーンに逆転3ランホームラン(3者連続バックスクリーンホームラン)を放ったバースさんは、以降、破竹の勢いで打ちまくり、最終的には、打率3割5分、54本塁打、134打点という驚異的な成績で三冠王に輝き、
1964年以来21年ぶりの阪神タイガースのリーグ優勝と、球団初の日本一に大きく貢献し、この年(1985年)のMVPも獲得しているのですが、
日本シリーズでの敵将・西武の広岡達朗監督をして、
あの怪物にはアメリカに帰ってもらいたいね
と、言わしめています。
1985年のリーグ優勝で胴上げされるバースさん。
鋭い観察力で投手や捕手のクセを見抜いていた
そんなバースさんは、とても研究熱心で、ベンチで投手のクセをまばたきもせずに観察して、真っすぐの握り、カーブの握り、ふりかぶった時の違いを判別できるようになり、受けるキャッチャーのクセも覚えていったほか、同僚野手からも細かく情報を聞いてその知識を上積みし、2年間を下地に技術の引き出しを増やし、3年目の1985年に見事、その成果を開花させたそうで、
(横浜のエース・遠藤一彦投手がフォークを投げる時はグラブがわずかに開くクセを見抜いていたほか、巨人のエース・江川卓投手の配球パターンを記憶したり、槙原寛己投手には前の打席で打ち取られていたシュートをもう1度意識させるなどの駆け引きも上手く、「強靭な肉体の上に優秀なコンピューターを乗せているようだ」と言われ、恐れられました)
吉田義男監督は、そんなバースさんについて、著書「阪神タイガース」で、
バースは観察力の非常に鋭い選手で、ベンチからいつも熱心に相手投手のピッチングを分析していた。仲のいい川藤幸三と将棋を指すのも大好きで、監督の戦略・戦術についても冷静に見ていたのだろう。
と、綴っています。
長崎啓二のバットを拝借し本塁打を量産していた
また、バースさんは、もともと、引っ張り打者だったのですが、掛布雅之選手に教えを請うて、流し打ちを習得するほか、大洋時代の長崎啓二選手のミートバッティングを独学で会得したそうで、
1985年終盤には、ヘッドの重い自分のバットを使わず、(大洋から阪神に移籍してきた)長崎啓二さんの軽目のバットを借り、本塁打を量産しているのですが、
遠くに飛ばない反面、操りやすく、振り遅れが少なくなってインサイドもさばきやすかったことから、芯に当たる確率が増えたのだそうです。
ちなみに、長崎選手は、後に、
彼は速い投手がくると、黙って人のバットを持っていくんです。短くて軽いのをね。僕のバットもしょっちゅう拝借されていました。
『ちょっと貸してくれ』とか『借りたよ』もない。グリップの細さが僕のと似ていた。ベンチ裏に2本置いているんだけど、気がつくとない。しゃーないな、という感じでしたね
と、語っています。
「ランディ・バースは真っ向勝負の江川卓に尊敬の念を抱いていた!」に続く