1975年、大学2年生の春のリーグ戦では、8勝3敗と活躍するも、明治大学戦で2敗し、法政大を優勝に導くことができなかった、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、同年秋のシーズンでも、江川頼みの異常な登板過多により、ついに、右肩を疲労骨折。しかも、当時は「筋肉痛」と発表されています。

法政大学時代の江川卓

「江川卓は法政大学2年の春は8勝も明治に2敗して優勝を逃していた!」からの続き

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1975年、2年生の秋は、立教1回戦で完投、慶応1回戦で延長12回完投

江川さんは、1975年、大学2年生の秋のシーズンでは、立教戦との1回戦を完投勝利(6対1で法政が勝利)するのですが、

(法政は、その後、立教から勝ち点を奪取し、順調なスタートを切ります)

慶応戦との1回戦では、0対0の同点で迎えた延長12回表に、慶応の後藤寿彦選手、堀場秀孝選手に2者連続ホームランを浴び、これが決勝点となって、(延長12回を完投したものの)1対2で負けてしまいます。

慶応戦では1回戦の12回完投に続き2回戦でも先発したうえ3回戦も延長13回完投

そんな江川さんは、なんと、翌日の慶応との2回戦でも先発し、4回が終わった時点で(法政が6対2とリード)、翌日以降の試合に備えて降板すると、

(法政が11対5で勝利し、1勝1敗のタイ)

慶応との3回戦でも先発し延長13回を完投しています。

(法政、慶応ともに点を取り合う展開となり、8対8の同点で延長戦に突入すると、法政が延長13回裏でサヨナラ勝ち)

早稲田戦でも1回戦の先発に続き2回戦でも登板すると3回戦でも延長13回を完投

その後、法政は、続く東大戦では難なく連勝し、優勝を左右する大一番となる早稲田戦を迎えるのですが、その早稲田との1回戦で江川さんは先発。

(ただ、江川さんは、初回に早稲田の猛攻を受け、いきなり3点を奪われ、これが響き、法政は4対3で早稲田に敗北)

そして、江川さんは、早稲田との2回戦にも登板すると、

(江川さんの好投により、法政が8対1で早稲田に勝利)

1勝1敗で迎えた早稲田との3回戦にも先発し、延長13回を完投したのでした。

(1対1で延長戦に突入すると、延長13回表、江川さんは、早稲田に勝ち越しの1点を奪われ、法政は2対1で敗北)

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登板過多で右肩を疲労骨折するも筋肉痛と発表されていた

しかし、ここで、江川さんが右肩を疲労骨折していたことが判明。

江川さんは体が悲鳴を挙げていたにもかかわらず、法政の無理な起用に応えて懸命に投げ続け、パンクしてしまったのでした。

(ちなみに、当時は、その事実が伏せられ、「右肩の肩甲骨の周囲の筋肉痛」と発表されているのですが、江川さんを欠いた法政は、春に続き、秋も優勝を逃しています)

「江川卓は法政大3年の春も開幕4連続勝ち点奪取に大きく貢献していた!」に続く

法政大学時代の江川卓

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