1968年12月17日、阪神と正式に契約を交わした、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、翌年1月から始まった合同自主トレでは、捕手としてはまずまずの評価も、打者としては長距離打者として高く評価されていたのですが、高知・安芸でのキャンプでは、期待されていた打撃で、「内角高め」に弱点があることが発覚したといいます。

「田淵幸一の背番号22は前々年ドラ1の西村公一から譲り受けたものだった!」からの続き

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捕手としての評価はまずまずだった

1969年1月15日、甲子園球場でバッテリーを中心とした「合同自主トレ」が始まり、1月24日、投球練習が始まると、田淵さんはブルペンに入り、まずは、江夏豊さんの投球を60球、次は村山実さんの投球を80球受けたそうですが、

江夏さんは、

的が大きく、構えがどっしりしている。投げやすい。それが一番

村山さんも、

捕球のタイミングがいいよ

と、評価してくれたそうです。

元阪神捕手の土井垣武からも6つのダメ出しはされるも欠点が少ないとまずまずの評価

また、かつて阪神の名捕手だった、産経新聞の評論家・土井垣武さんからも、

  1. 大きな体を生かし切れていない
  2. ビシッという捕球音を出せていない
  3. 構える位置が右に寄りすぎ
  4. 構えたミットが下を向く
  5. 脇があいて肘が張る
  6. 足のつま先が開きすぎる

と、6つのダメ出しをされたものの、最近の新人ではめずらしく欠点が少ないと、評価はまずまずだったそうです。

(土井垣さんは、かつて阪神の「ダイナマイト打線」で、3番・別当薫さん、4番・藤村富美男さんとともにクリーンアップを打った名捕手。その歯に衣を着せぬ厳しい評論には定評があり、田淵さんも、土井垣さんの指摘は勉強になったそうです)

長距離打者として高く評価されていた

一方、打撃は、合同自主トレ中、田淵さんの指導係となった二軍監督の岩本章さんに、

  • 構えにゆとりがあり、迫力がある。
  • ミートポイントが近く、タマを呼び込んで打てているので、パンチの強さを感じる。
  • 右手首の絞りが良く、手首の返しも強い。打球に伸びがある。
  • 低めのタマに強い。

と、「長距離打者の条件に当てはまる」と、高く評価してもらったそうです。

プロ1年目の目標は正捕手と新人王

これに、田淵さんも気持ちが大きくなったようで、

新人王は欲しい。でもタイトルはゲームに出ての副産物。ボクの目標はまず正捕手の座です

ホームラン? 何本打てるか予想は難しいですね。でもボクの好きな数字が22。出来るならその数字を目標にしたい

と、意気揚々と答えていたそうですが・・・

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「内角高め」が弱点と発覚

1969年、高知・安芸でのキャンプでは、思わぬ弱点が発覚したといいます。

それは、同年2月6日、ほとんどの選手が宿舎へ引き上げた午後2時過ぎのこと、田淵さんが、後藤次男新監督ら首脳陣が見つめる中、キャンプ初の「特打ち」を始めると、真ん中からやや外寄りの低めの球は、快音を響かせながら、軽々と左中間のスタンドへ運んでいったそうですが・・・

(それを観た首脳陣たちは、「やっぱり、ええな」「強い打球や」などと口々に感嘆していたそうです)

内角球を打ち始めると、一転、ドライブ(トップスピン)がかかり、打球が上がらなかったそうで、田淵さんは焦ったそうですが、焦れば焦るほど打球は上がらなかったのだそうです。

そして、ようやく、初の特打ち(約120球)が終わると、

後藤監督には、

外角よりのタマはほんまにうまいこと打ちよる。けど、内角球は今のままではしんどいな

左膝が突っ張った感じで打っとる。腕が縮んだまま伸びきらずに手首を返しているから、ドライブがかかったようになるんや。大学時代にはこんなことはなかったらしいが・・・

プロの投手のスピードと変化球を意識し過ぎて、のびのび打つ感じを失っとる

と、少し落胆気味にコメントされたそうで、

田淵さんの弱点が「内角高め」であることは、あっという間に各球団に知れ渡ったのだそうです。

(ちなみに、田淵さんは、大学時代、東京六大学野球記録(8本)を大きく更新する22本のホームランを放っているのですが、その内訳は、左翼19本、左中間2本、中堅1本で、右翼方向への本塁打は1本もありませんでした)

「田淵幸一は阪神入団直後のオープン戦では内角を攻められ打てなかった!」に続く

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