1968年、法政大学からドラフト1位で阪神タイガースに入団すると、その後、強打の捕手として474本の本塁打を放ち、その大きく美しい放物線を描くホームランの軌道から「ホームラン・アーチスト」と称された、田淵幸一(たぶち こういち)さん。

そんな田淵幸一さんは、小学3年生の時にお父さんに、生まれて初めてプロ野球のナイターを観に連れていってもらったことで、野球にすっかりハマり、自分でも野球をするようになると、小学5年生の時には軟式野球チームに入ったといいます。

今回は、そんな田淵幸一さんの、生い立ち(幼少期から中学時代まで)をご紹介します。

田淵幸一

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田淵幸一のプロフィール

田淵幸一さんは、1946年9月24日生まれ、
東京都豊島区目白の出身、

身長186センチ、
体重90キロ、

血液型はA型、

学歴は、
目白小学校
⇒豊島区立高田中学校(現・豊島区立千登世橋中学校)
⇒法政大学第一高等学校
⇒法政大学卒業

趣味は、
ドライブ、テニス、ゴルフ、

ちなみに、「田淵幸一」は本名で、愛称は、「ブチ」「ブッちゃん」「タブタ」「オッサン(東尾修さんが使用)」「3代目ミスタータイガース」です。

田淵幸一は小学3年生の時に生まれて初めて生のプロ野球(ナイター)の試合を観戦して感動していた

田淵幸一さんは、毎日新聞販売部長だったお父さんの綾男(あやお)さんとお母さんの花江さんのもと、4人姉弟(姉が3人)の末っ子として誕生すると、両親の愛情をたっぷり受け、裕福な家庭で、何不自由なく育ったそうで、

1955年、小学3年生の時には、お父さんに、生まれて初めて、プロ野球のナイターを観に連れて行ってもらったそうですが、カクテル光線に外野天然芝の緑が映える様子などが、異次元の世界のよう感じられたそうです。

(この日の試合は、日米野球(毎日オリオンズ(現・ロッテ)対ニューヨーク・ヤンキース)だったそうです)

田淵幸一は小学5年生の時に野球を始めていた

その後、田淵幸一さんは、自分でも野球(三角ベース)をするようになり、(リトルリーグがない時代だったため)小学5年生の時には、「目白コンドルス」という軟式の野球チームに入ったそうですが、

(※三角ベースとは、二塁がなく、本塁・一塁・三塁の三角形の簡易な野球)

ジャニー喜多川さん率いる「ジャニーズ」とも試合をしたことがあったそうで、ジャニー喜多川さんの大きなアメ車に乗せてもらったこともあったそうです。

田淵幸一は中学3年生の時に人生初のホームラン(逆転満塁本塁打)を打っていた

そんな田淵幸一さんは、中学進学後は野球部に入部したそうですが、弱小チームだったため、すぐ試合に出ることができたそうで、外野を中心に、バッテリー以外の全ポジションをこなしたそうです。

そして、中学3年生の時、大塚中学校との試合では、ご褒美のカツ丼につられ逆転満塁本塁打を打ったそうで、これが田淵幸一さんが記憶している限り、人生の中で初めて打ったホームランだったそうです。

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田淵幸一は中学卒業後は法政一高に進学しようと決めていた

そんな田淵幸一さんは、進路を考える時期になると、甲子園を目指すにはどこを受験すればいいかと考え、強豪校の早稲田実業学校と日大系列校のどちらを受験するか迷ったそうですが、

(田淵幸一さんの中学の野球部は弱小チームだったため、推薦で誘ってくれる高校はなかったそうです)

ちょうどその頃、法政一高(現・法政大高)に進学した近所の1年先輩に、「ウチに来ないか」と誘われたことから、仲の良い先輩が誘ってくれたうえ、(法政一高は甲子園に出場したことがあったため)甲子園出場も夢ではないと思い、法政一高を受験することにしたのだそうです。

「【画像】田淵幸一の若い頃が凄い!高校からプロ野球現役時代までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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