1973年、アニメ「マジンガーZ」で声優デビューすると、以降、「キャンディ・キャンディ」のアンソニー、「サイボーグ009」の島村ジョー、「NARUTO-ナルト-疾風伝」のはたけカカシ、「夏目友人帳」のニャンコ先生・斑など、数多くのアニメ作品でメインキャラクターの声を務め、人気を博した、井上和彦(いのうえ かずひこ)さん。

そんな井上和彦さんは、小・中学校時代は、ガリガリで身体が弱かったそうですが、お父さんが釣りやキャンプにしょっちゅう連れて行ってくれ、夏休みは小田原のお母さんの実家に預けられて自然の豊かな場所で元気いっぱい遊びながらすくすくと育つと、高校時代にはプロボウラーに憧れ、高校卒業後はボウリング場に就職していたといいます。

今回は、井上和彦さんの、生い立ち(幼少期から声優養成所時代まで)をご紹介します。

井上和彦

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井上和彦のプロフィール

井上和彦さんは、1954年3月26日生まれ、
神奈川県横浜市南区浦舟町の出身、

身長173センチ、

血液型はO型、

学歴は、
横浜市立稲荷台小学校
⇒横浜市立岩井原中学校
⇒横浜市立横浜商業高等学校卒業

趣味は、ウインドサーフィン、サップ、ロードバイク、ボウリング、釣り、

ちなみに、「井上和彦」は本名で、ジャーナリストの井上和彦さんとは同姓同名の別人です。

井上和彦が幼い頃は近所の人からかわいがられていた

井上和彦さんは、中華食堂を営む両親のもと誕生すると、幼い頃は、ガリガリに瘦せていたことから、「もやし」「糸こんにゃく」などと呼ばれていたそうですが、

性格は明るく、リーダーシップがある方ではなかったものの、朗らかでのほほんとした子供だったことから、近所の人にもよくあちこち遊びに連れて行ってもらうなど、かわいがられていたそうです。

(そのため、近所の人はみんな自分の親戚だと思っていたほどだったそうです)

井上和彦が小学生の頃は父親にしばしば釣りやキャンプに連れて行ってもらっていた

そんな中、井上和彦さんのお父さんとお母さんは、中華食堂を営んでいたことから、土日はかき入れ時で2人とも休まずに働いていたそうですが、

井上和彦さんが小学校2年生の時、担任の先生が、

お子さんと過ごす時間がすごく短いから、なるべく一緒に遊んであげてくださいね

と、両親に言ってくれたそうで、

次の週からは、日曜日はお店を休みにし、お父さんがいっぱい遊びに連れて行ってくれるようになったそうで、特に、釣りにはしょっちゅう連れて行ってもらい、夏になるとキャンプにも連れて行ってもらったそうです。

(当時はまだ、車を持っている人がそれほど多くない時代だったそうですが、お父さんは、一緒に遊びに行くために、一生懸命勉強して車の免許を取り、中古の軽自動車を買ったそうです)

井上和彦は小学校時代の夏休みには小田原の母親の実家に預けられていた

また、井上和彦さんは、夏休みの期間中には、お母さんの実家がある小田原で生活していたこともあったそうで、

(身体が細く弱かったため、原っぱや田んぼを駆け回れば少しは元気になるのでは、とのことで預けられたそうです)

アユを釣ったり、仕掛けを作ってウナギを捕まえたりと、山遊びもたくさんして育ったそうです。

井上和彦は小学生の頃に楳図かずおの「半魚人」を読み衝撃を受けていた

そんな井上和彦さんは、幼い頃は、貸本屋で、「のらくろ」「鉄腕アトム」などの漫画や、「ちびくろサンボ」などの絵本を読んでいたそうですが、

小学生の頃に自分で初めて買った漫画で、「週刊少年マガジン」に連載されていた楳図かずおさんの「半魚人」を読み、とても衝撃を受けたそうで、

井上和彦さんは、

夜中に主人公の兄が冷蔵庫を開けてむしゃむしゃ何かを食べていて、魚を咥(くわ)えて振り向くシーンとか、ふと見たら体にウロコがはえて、手には水かきができていて……なんてシーンが次々。

あまりにも衝撃的で「こんなのあったら怖いな」と思いながらも、結局、話の続きが気になって全巻そろえました。

と、語っています。

楳図かずおの「半魚人」

井上和彦は中学生時代は「サイボーグ009」「ワタリ」などの漫画を読んでいた

そんな井上和彦さんは、中学生の頃には、石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」や白土三平さんの忍者漫画「ワタリ」なども読んでいたそうです。


また、通学路の途中の原っぱで弓を引いているおじいさんと知り合いになると、放課後には、そのおじいさんから弓道を教えてもらっていたそうです。

井上和彦が高校生の時はプロボウラーに憧れるようになっていた

そして、1970年代、高校生の時には、ボウリングブームとなり、中山律子さんはじめ、須田開代子さん、矢島純一さんなど、プロボウラーが活躍する大会がしょっちゅうテレビで放送されたそうで、

その影響で、井上和彦さんも、週に2、3回、両親と一緒にボウリングに行くようになると、いつしか、プロボウラーに憧れるようになったそうです。

井上和彦は高校卒業後はボウリング場に就職するも半年で退職していた

そして、高校3年生となり、進路を考える時期に、

井上和彦さんが、

プロボウラーになりたい

と言うと、

お父さんは、当初、

なにー!?

という反応だったそうですが、何とか許してもらったそうで、

井上和彦さんは、高校卒業後は、ボウリング場「タニーボウル」に就職したのだそうです。

ただ、思い描いていた理想と現実のギャップがひどく、いろいろなことがあって人間不信となり、人と話すことも苦手になったそうで、半年で退職したのだそうです。

井上和彦は18歳の時(ボウリング場を退職後)2ヶ月間引きこもり状態になっていた

その後、井上和彦さんは、2ヶ月ほど引きこもり状態になってしまったそうで、一人暮らしの部屋に布団を敷いてその上にコタツを乗せ、小さなテレビの画面を一日中見つめていたそうです。

すると、日に日に身体が細くなっていき、食べるものもお金もなくなってきたそうで、

これはいかん、体力をつけなきゃ

と、思い、体力を戻すため、テレビ局の大道具係の仕事を始めたそうです。

(美術会社の大道具の仕事とも語っています)

井上和彦が18歳~19歳の時にはテレビ局の大道具係をしていた

実は、井上和彦さんは、大道具係の仕事は、”道具”という名前から、勝手に、体力的に楽な仕事と思っていたそうですが、実際には、テレビの大道具はとてもハードな仕事だったそうで、

初日から、ステージの土台になる大きな重い平台を40個運ばされるなど、とことん、こき使われたそうで、その後も、来る日も来る日もそのような作業が続いたそうです。

ただ、そのお陰で少しずつ体力も戻ってきたそうで、精神的にも徐々に楽になっていったのだそうです。

井上和彦は19歳の時、声優養成所に一緒に来てほしいと頼まれ一緒に受験すると合格していた

そんな中、ボウリング場で一緒に働いていた同僚に、

声優になりたいから、一緒に養成所を見に行ってくれない?

と、頼まれたそうですが、

井上和彦さんは、その時、初めて、声優という仕事を知ったそうで、養成所に行けば喋り方の練習をすると聞き、

人が苦手なのが治るのかな

人付き合いがまたできるようになれば良いな

と、銀座にあった養成所「テレビタレントセンター」に一緒に見に行くことにしたのだそうです。

そして、試験を受けたところ、見事、合格したそうで、

その後、井上和彦さんは、軽い気持ちで養成所で演技の勉強を始めたそうですが、だんだん演技をするのが面白くなっていったのだそうです。

(周りの人達は、プロの声優や役者になるつもりで来ていたため、すごく上手だったそうで、当初は、みんなの真似をしていたそうです)

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井上和彦は18歳~19歳の時に永井一郎に「青二プロダクション」に誘われていた

こうして、井上和彦さんは、ボウリングと同じくらい熱心に演技の勉強に打ち込むようになったそうで、

そんな中、声優養成所を卒業する直前の最後の授業の時、

永井一郎さんに、

青二プロダクションにこないか

と、誘ってもらうと、

卒業後には、本当に、永井一郎さんが「青二プロダクション」に引っ張ってくれたそうで、

この時、井上和彦さんは、

声優になれるかもしれない

と、思い始めたのだそうです。

(永井一郎さんは、「サザエさん」の波平役などを務めた声優で、井上和彦さんが養成所に入って半年が過ぎた頃に講師としてやって来て、声優として生きていくために必要な様々なことを教えてくれたそうです)

「【画像】井上和彦(声優)の若い頃は?デビューから現在までのキャラや経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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