1960年、「ろくでなし」で監督デビューすると、その後、「血は渇いてる」「甘い夜の果て」「秋津温泉」「嵐を呼ぶ十八人」など、社会の矛盾をドライに描いた作品を次々と発表し、海外でも高く評価された、吉田喜重(よしだ よししげ)さん。
そんな吉田喜重さんは、プライベートでは、女優の岡田茉莉子さんと結婚しています。
今回は、吉田喜重さんの、妻・岡田茉莉子さんとの馴れ初め、結婚後の関係(夫婦仲)、子供についてご紹介します。
「【画像】吉田喜重の若い頃は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」からの続き
吉田喜重は女優の岡田茉莉子と結婚
吉田喜重さんは、1964年、31歳の時、女優の岡田茉莉子さんと結婚すると、旧西ドイツのバイエルン州で結婚式を挙げ、新婚旅行は約40日間に渡ってヨーロッパ各国を訪れたそうです。
結婚式での岡田茉莉子さんと吉田喜重さん。
吉田喜重の妻・岡田茉莉子との馴れ初めは?
吉田喜重さんは、1962年、29歳の時、スター女優だった岡田茉莉子さんに直々に指名され、岡田茉莉子さんが(自身の映画100本記念として)企画・プロデュースを担当した「秋津温泉」で監督を務めたことがきっかけで知り合ったそうで、
吉田喜重さんは幼い頃に母親を亡くしており、岡田茉莉子さんは父親を亡くしているという共通点があったため、言葉に出さずとも、お互い理解し合える部分があったようです。
ちなみに、この「秋津温泉」の成功で、岡田茉莉子さんは、様々な栄えある賞を受賞しており、岡田茉莉子さんからは、これを最後に女優を引退しようと考えていること打ち明けられたそうですが、
その際、吉田喜重さんは、
あなたは青春をすべて映画に捧げてきました。辞めてしまってはもったいないとは思いませんか?
と、言って、引き止めており、
この言葉で、岡田茉莉子さんは女優を続けることを決心したそうで、
岡田茉莉子さんは、2024年、「婦人公論」のインタビューで、
仕事を辞めるのを吉田が止めてくれて本当によかった。今さらですが、つくづくそう思います。
と、語っています。
吉田喜重は妻・岡田茉莉子に結婚後も女優を続けてほしいと思っていた
吉田喜重さんは、結婚後も、岡田茉莉子さんには、家庭に入らず、女優を続けて欲しいと思っていたそうで、1966年、岡田茉莉子さんと共に独立プロダクション「現代映画社」を設立すると、岡田茉莉子さんと共に11本の映画を制作しています。
(内10本は岡田茉莉子さんが主演、残り1本では岡田茉莉子さんはプロデューサー)
吉田喜重は妻・岡田茉莉子と結婚後も夫婦仲は良好だった
また、岡田茉莉子さんとの結婚生活は順調だったようで、2021年、88歳の時には、2人そろって、トーク番組「徹子の部屋」に出演すると、結婚57年で一度もケンカをしたことがないことを明かしています。
そして、番組の最後に、お互い、相手へのメッセージを書いた色紙を披露した際には、
吉田喜重さんは、
あなたと出会えて 私の人生は 幸せでした
岡田茉莉子さんも、
私の人生は あなたと出会えて 幸せです
と、同じ意味のことを書いており、2人がどれほど仲が良かったかが伺えます。
吉田喜重の子供は?
ちなみに、吉田喜重さんと岡田茉莉子さんの間に子供はいません。
2人の間に子供がいないのは、できなかったのではなく、妻の岡田茉莉子さんが女優を続けるため、あえて、作らなかったと言われているのですが、真偽は不明です。
(当時、映画界は、少しでも若々しくて美しい人がキャスティングされることが当たり前だったため、妊娠、出産を経験すると、肉体的な衰えから、女優にとってマイナスになってしまったと言われています)
吉田喜重さんと岡田茉莉子さん。
1960年、「ろくでなし」で監督デビューすると、以降、「エロス+虐殺」「煉獄エロイカ」「戒厳令」の日本近代批判三部作で注目され、大島渚監督、篠田正浩監督らとともに、“松竹ヌーベルヴァーグ”と称された、映画監督の吉田喜重( …