2024年8月、乳ガンに罹患したことを公表し、現在は抗がん剤投与による治療を行っているという、梅宮アンナ(うめみや あんな)さん。

今回は、そんな梅宮アンナさんが、乳ガンと診断されるまでに感じたという予兆や、その後の治療の経緯などをご紹介します。

梅宮アンナ

「梅宮アンナの前夫(娘の父親)は?立浪和義以外にも不倫交際!破局原因は?」からの続き

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梅宮アンナは乳ガン(ステージ3A)が判明していた

梅宮アンナさんは、2024年8月13日、51歳の時に、乳ガンに罹患していることを公表しています。

梅宮アンナさんによると、2024年5月、シャワーを浴びた後に鏡を見ると、左右の胸の大きさが違っていたそうで、

(右の乳房の方がワンカップくらい小さくなっていたそうです)

おかしいなと思っていると、その後、右胸に皮膚を引っ張られるような痛みを感じたため、慌てて病院へ駆け込み、マンモグラフィーやMRI乳房検査を受けたそうですが、

ガンではない

との診断だったそうです。

それでも、梅宮アンナさんは、

まだ油断できないぞ

と、思っていたそうで、6月中旬に生体検査を受けたところ、その勘は当たってしまい、

7月上旬に医師から

ガンです

と、告げられたのだそうです。

しかも、そのガンは、「浸潤性小葉ガン」という希少な組織型のガンで、ステージ3A、腋(わき)の下のリンパ節に転移していたといいます。

(ガンのステージは、ステージ0期からIV期まで5段階あり、ステージIVがもっとも進行している(悪化した)状態で、乳ガンのステージ3は、3A期、3B期、3C期に分類されるそうです)

梅宮家はガン家系だった

ちなみに、梅宮アンナさんは、ガンが判明した時、

やっぱり

と、思うと同時に、

ああ、やっと私の番が来たか

と、思ったといいます。

というのも、梅宮アンナさんは、おじいさんをガンで亡くし、お父さんの梅宮辰夫さんも、36歳の時に睾丸ガンと肺ガンに罹患して以来、亡くなるまで計6度の手術を受けていたほか、叔母さん(お父さんの妹2人)、叔父さん、幼い頃にお姉さん的存在だった親戚も小児ガンで他界しており、梅宮家はガン家系だったからだそうです。

(実は、梅宮アンナさんは、2024年4月頃、咳が止まらず、息を吸うのも辛いほどの体調不良に見舞われたそうで、一時は寝たきりの状態になっていたそうですが、この時は、しばらくして回復したことから、病院には行かなかったようです)

梅宮アンナは自由診療ではなく保険内での標準治療を選択していた

とはいえ、ガンが判明した当初は、ショックのあまり泣いてばかりいたそうで、このまま運命を受け入れ、治療しなくてもいいかも、とも思ったそうですが、友人の助言などもあり、一人娘の百々果さんのためにも、ガンと闘うことを決意したそうで、

梅宮アンナさんは、

私が罹患したのは、「浸潤性小葉がん」という希少がん。がんが散らばっていて、なおかつ塊が大きく、現状では手術のリスクが高いので、2週間に1回の抗がん剤で進行を止め、弱めています。

と、語り、

最終的には、手術で腫瘍を全摘出するそうですが、手術を受けるに当たり、7月31日から、抗ガン剤治療「術前化学療法」を開始したことを明かしています。

(梅宮アンナさんは、民間療法や保険が効かない自由診療などの選択肢もある中、保険内での標準治療を選択したそうです)

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梅宮アンナは抗がん剤投与のあと手術予定

そんな梅宮アンナさんは、2024年9月19日には、

ひとまず今日は少し中間報告をいたします。7月31日よりスタートしたAC療法が終わりました ミッション1クリアです ほっ

通常抗がん剤投与は、一般的には、3週間に一度のサイクルですが、私の場合は2週間に一度で進めていきました。途中、ポート埋め込みもあり楽になりました

腕からの抗がん剤投与は、腕の血管が細くて既に血管を痛めてしまったので 次回、ミッション2 パクリタキセルへと移ります。同じく2週間に一度の抗がん剤治療へ。

副作用はありますがコレも個人差があり様々です。副作用により、期間も多分変化するかもしれませんし。残り4回を投与したら、一旦抗がん剤は、終わりになります

身体から抗がん剤を抜いて手術へと準備に入ります。明日の事は誰にもわかりません。イチニチイチニチを大切に生きて皆んなに感謝をして、今日の目の前を大事に出来たらなって思います

と、治療の途中経過を報告しています。

お読みいただきありがとうございました

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