1954年、19歳の時、「劇団 民藝」に入団し、1957年、22歳の時、舞台「アンネの日記」で女優デビューすると、その後は、「にあんちゃん」などの日活映画で活躍し、1969年、34歳の時、フリーとなると、1978年には、大島渚監督作品「愛の亡霊」で、不倫相手の青年と共謀して夫を殺害する人妻を演じて、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した、吉行和子(よしゆき かずこ)さん。
そんな吉行和子さんは、その後も、舞台を中心に活動するかたわら、テレビドラマや映画にも出演し、2008年、73歳の時には、舞台から引退することを発表しているのですが、
今回は、吉行和子さんの、若い頃から現在までの活躍や経歴を、デビューから時系列でまとめてみました。
「吉行和子の生い立ちは?病弱で裏方志望も主演で舞台女優デビューしていた!」からの続き
吉行和子は22歳の時、「アンネの日記」の主演で女優デビューするも公演終了後は女優を辞めようと思っていた
1954年、高校3年生の時(卒業前)、女優に憧れるも、病弱だったことから、女優は諦め、「衣装係にでもなれれば」と劇団「民藝」の募集広告に応募すると、見事合格し、
1957年、22歳の時には、舞台「アンネの日記」の主演女優が、風邪で声が出なくなってしまったことから、研究生ながら、その代役として、主演で女優デビューを果たした吉行和子さんですが、
やはり、体のことを考え、この「アンネの日記」の公演が終われば女優を辞めようと思っていたそうです。
1954年、19歳で劇団「民藝」に入ると、1957年、22歳の時には、舞台「アンネの日記」で主人公の役が巡ってきて、華やかな女優デビューを果たされた、吉行和子(よしゆき かずこ)さんですが、その後は、トントン拍子という訳 …
ただ、そんな中、旅公演のある夜、寝ていると、
ある先輩が、
彼女は体が弱いし、引っ込み思案だから続かないでしょう
と、言っているのが聞こえたそうで、
そう言われたことで悔しくなり、女優を続けることにしたそうです。
吉行和子は30代の時に「劇団 民藝」を退団し、唐十郎らの舞台「少女仮面」に出演していた
30歳まで「劇団 民藝」での月給は2万円だった
ちなみに、吉行和子さんは、以前から、早く家を出て自立したいという気持ちがあったこともあり、自分の居場所を見つけようと演劇の世界に飛び込んだそうですが、
「劇団 民藝」の経営は厳しく、舞台だけではやっていけなかったことから、劇団員が広告出演で得た収入を劇団に入れて切り盛りするなど、「劇団員全員で劇団の経営を支える」という仕組みだったそうで、吉行和子さんの月給は30歳までたったの2万円だったそうです。
また、華々しくデビューしたものの、その後は、地味な”農民の娘”の役ばかりだったそうで、その影響からか、吉行和子さんは、服装もあまり気を使わず、いつも普段着のまま現場入りしていたといいます。
34歳の時に「劇団 民藝」を退団
そんな中、突然、唐十郎さん脚本、鈴木忠志さん演出の舞台「少女仮面」への出演を打診されたそうで、
(折から、吉行和子さんは、唐十郎さん、寺山修司さん、鈴木忠志さんらのお芝居を観に行き、才能あふれる演出家の芝居に強い刺激を受けていたそうです)
吉行和子さんは、この誘いを受け、1969年、34歳の時、「劇団 民藝」を退団したのだそうです。
ちなみに、吉行和子さんは、
別世界の人たちだと思っていたその21人から手が差し伸べられ、これは新しい扉を開けるときが来た、そんな気持ちで、劇団を辞めて飛び込んだのです。
と、語っています。
1968年、33歳の時の吉行和子さん。
34歳の時に早稲田小劇場で開催された唐十郎らの舞台「少女仮面」に出演
こうして、吉行和子さんは、1969年10月、早稲田小劇場で行われた唐十郎さんらの舞台「少女仮面」に出演したそうですが・・・
その舞台は、「民藝」時代よりずっと小さく、観客も行儀が悪い人たちばかりだったそうで、観に来てくれた「民藝」時代のお客さんからは、
あなた、みじめねえ
と、言われたそうです。
それでも、吉行和子さん自身は、この時、初めてお芝居の楽しさを知ったそうで、実際、それ以降、吉行和子さんの芝居の世界は大きく広がり、次々に新しい人達と舞台を創る機会に恵まれたのだそうです。
劇団「民藝」で華々しく女優デビューを果すも、内心、悶々とした日々を過ごしていた、吉行和子(よしゆき かずこ)さんですが、唐十郎さんらに誘われ、「少女仮面」に出演すると、初めてお芝居の楽しさに目覚めます。 「吉行和子は初舞 …
「少女仮面」より。左が吉行和子さん。
吉行和子が40代の時には大島渚監督作品「愛の亡霊」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞
そんな吉行和子さんは、1978年、43歳の時には、大島渚監督作品「愛の亡霊」で、不倫相手の青年と共謀して夫を殺害する人妻の情念を見事に演じきると、この演技が高く評価され、「日本アカデミー賞優秀主演女優賞」を受賞しています。
「愛の亡霊」より。吉行和子さんと藤竜也さん。
吉行和子が50代~60代の時には一人芝居「MITSUKO」を13年間上演していた
また、吉行和子さんは、1993年、58歳の時には、神戸で一人芝居「MITSUKO―ミツコ 世紀末の伯爵夫人―」を上演しているのですが、
1カ所ではもったいない、この機会に、生の舞台を観たことのない人たちにも観てもらいたい、との思いから、演劇をなかなか見られない土地を回ることにしたそうで、一人芝居「MITSUKO」は、その後、2005年(70歳)まで13年続けたそうです。
(ビジネスホテルさえない町、スーパーマーケットのテナントがまだ入っていないスペース、ヨーロッパでも何度も上演したそうです)
「MITSUKO」より。
吉行和子は70代の時に舞台「アプサンス~ある不在~」を最後に舞台からの引退を表明していた
そんな吉行和子さんは、一人芝居「MITSUKO」を13年続ける中、舞台とはどんなものか、自分なりに答えが出たように思え、この「MITSUKO」を終えたら、次作を最後に舞台から降りようと思ったそうで、
2008年、73歳の時、舞台「アプサンス~ある不在~」に出演した際には、舞台から引退することを表明しています。
ただ、この舞台が好評を博したことから、2009年には、アンコール公演が決定しており、吉行和子さんは、同年、トーク番組「徹子の部屋」に出演した際、今度こそ、この「アプサンス~ある不在~」のアンコール公演をもって、舞台から引退しようという考えと、その撤回も考えているという、複雑な胸の胸中を語っています。
(最終的には、あらためて、舞台から引退し、映画やテレビドラマに専念することを表明しています)
「アプサンス~ある不在~」より。吉行和子さんと岡田浩暉さん。
吉行和子は現在(80代)も現役で活動中
その後、吉行和子さんは、80代となった現在も、
テレビドラマでは、
- 2016年(81歳)「スニッファー 嗅覚捜査官」
- 2020年(85歳)「あと3回、君に会える」
- 2022年(87歳)「つまらない住宅地のすべての家」
映画では、
- 2016年(81歳)「家族はつらいよ」
- 2016年(81歳)「夏美のホタル」
- 2016年(81歳)「海すずめ」
「海すずめ」より。武田梨奈さん(左)と吉行和子さん(右)。 - 2017年(82歳)「家族はつらいよ2」
- 2017年(82歳)「春なれや」
- 2017年(82歳)「ナミヤ雑貨店の奇蹟」
- 2017年(82歳)「亜人」
- 2017年(82歳)「DESTINY 鎌倉ものがたり」
- 2018年(83歳)「妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII」
- 2018年(83歳)「羊と鋼の森」
- 2019年(84歳)「雪子さんの足音」
- 2021年(86歳)「おもいで写眞」
- 2021年(86歳)「誰かの花」
「誰かの花」より。 - 2022年(87歳)「世の中にたえて桜のなかりせば」
- 2023年(88歳)「愛のこむらがえり」
などに出演するほか、
1957年、22歳の時、劇団「民藝」の舞台「アンネの日記」で女優デビューして以来、60年以上も女優を続け、80代半ばの現在も、現役で活躍されている、吉行和子(よしゆき かずこ)さん。今回は、そんな吉行さんのデビューからの …
2023年5月5日、87歳の時には、トーク番組「徹子の部屋」に、親友の冨士眞奈美さんとともに出演するなど、現役で活動中です。
離婚後も、元ご主人の林秀彦や娘の岩崎リズさんとは良好な関係を築かれている、冨士眞奈美(ふじ まなみ)さんですが、女優の吉行和子さん、岸田今日子さんとも、とても仲が良かったそうです。そこで、今回は、そんな3人の関係について …
1957年、22歳の時に、劇団「民藝」の舞台「アンネの日記」で女優デビューして以来、60年以上も女優を続けられている、吉行和子(よしゆき かずこ)さんですが、今回は、そんな吉行さんのプライベートについてご紹介します。 「 …