ハナ肇さんを主演に据えたコメディ作品を次々と発表して徐々に評価を高めると、その後、「男はつらいよ」シリーズ、「息子」「母べえ」「おとうと」「東京家族」「母と暮せば」など、家族を題材にした作品を数多く発表した、山田洋次(やまだ ようじ)さん。

今回は、そんな山田洋次さんの妻・よし恵さんと子供(娘)についてご紹介します。

山田洋次

「【画像】山田洋次の若い頃は?監督作品や経歴をデビューから現在まで時系列まとめ!」からの続き

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山田洋次の妻・よし恵は近代女性史を研究していた

山田洋次さんは、1956年、25歳の時に、よし恵さんという女性と結婚しています。

山田洋次さんは、大学時代によし恵さんと知り合い、交際に発展して結婚に至ったそうですが、よし恵さんは、当時、出版社に勤務し、近代女性史を研究していたといいます。

(よし恵さんは、1932年生まれで、日本女子大学に進学すると、女性解放運動家として知られる平塚らいてう(らいちょう)を研究していたそうで、「平塚らいてう研究会」の発起人の一人として、活動にもかかわっていたそうです。また、「平塚らいてうの記録映画を上映する会」の副会長も務めていたそうです)

山田洋次の妻・よし恵は子育てが一段落するまでの間だけ仕事を辞めて子育てに専念していた

よし恵さんは、結婚後も出版社で働いていたそうですが、出産をきっかけに仕事を辞めて子育てに専念し、その後、子育てが一段落すると、再び、女性史の研究を始めたそうで、

山田洋次さんは、よし恵さんがなぜ仕事を辞めて子育てに専念したのか、はっきりと理由を聞いたことはないそうですが、当時、山田洋次さんは、まだ、監督になりたての頃だったことから、

本当は(よし恵も)やりたい仕事もあった中、監督になりたてだった僕に仕事をさせてあげようと思ったんじゃないかな・・・

と、語っています。

(山田洋次さんは、脚本作りをする時は、1ヶ月間、旅館に閉じこもり、自宅に帰らなかったことが、しょっちゅうあったそうで、家事や育児はよし恵さんに任せきりだったようです)

山田洋次の妻・よし恵は76歳で他界

そんなよし恵さんは、2008年11月8日、7年間に渡るガン闘病の末、76歳で他界されているのですが、山田洋次さんは、11月13日、よし恵さんの母校である日本女子大で講演しています。

実は、この講演会はよし恵さんが副会長を務めていた「平塚らいてうの記録映画を上映する会」が主催したもので、年に1度、女性に焦点を当てた映像作品を日本女子大学で上映していたそうですが、

この日は、よし恵さんが企画した、山田洋次監督の作品「母べえ」が上映される予定だったそうで、

よし恵さんは、

私が呼べば、(山田洋次さんも)来てくれる

と、この日を楽しみにしていたのだそうです。

ただ、よし恵さんは、この会を目前に控えた11月8日に他界されており、

山田洋次さんは、

病床の妻が苦しみながら“女子大には必ず行って”と言った。これは遺言なので行かないと怒られるだろうと思って来ました

と、語っています。

(前日の11月12日によし恵さんの葬儀・告別式があったばかりだったことから、山田洋次さんは少し疲れ気味な表情だったといいます。また、出席したのはこの会だけで、ほかの講演会などは全てキャンセルしたといいます)

(主演の吉永小百合さんも駆けつけたそうです)

山田洋次が妻・よし恵に対して後悔していることとは?

ちなみに、山田洋次さんは、よし恵さんに対して後悔していることがあるといいます。

それは、よし恵さんが、子育てに専念するために、大好きな仕事をあきらめたことだったそうで、

本当に悪いことをしたなって今は思うんですよ。大きな負担かけたねって言うべきだったなって思うんですよね

と、語っています。

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山田洋次の子供は娘が2人で次女はディレクターの山田亜樹

そんな山田洋次さんとよし恵さんの間には、女の子が2人誕生しています。

長女は、情報が一切ないことから、芸能活動をしておらず、一般人のようですが、

次女は、山田亜樹(やまだ あき)さんと言い、地上波のTBSでテレビディレクターを務めた後、BS-TBSに移籍すると、その後、制作現場から離れ、2014年からは、DigiCON6 ASIAフェスティバル・ディレクターとして活動するほか、最新機器のデジタル関係映像祭のイベントなどに参加しているそうです。

「山田洋次監督の病気が重病?「もうすぐ死ぬから」の真相は?現在の健康状態は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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