1958年、11歳の時に、シングル「クワイ河マーチ」で歌手デビューすると、1963年、15歳の時には、中尾ミエさん、園まりさんと共にテレビ番組「ザ・ヒットパレード」「シャボン玉ホリデー」などで「三人娘」として人気者になり、
1967年、19歳の時には、シングル「小指の想い出」が150万枚を売り上げる爆発的なヒットを記録した、伊東ゆかり(いとう ゆかり)さん。
そんな伊東ゆかりさんは、4歳の時にお母さんが家を出ていき、以降、お父さんと2人で暮らすようになっていたそうで、お父さんは、結婚と離婚を繰り返し、その度に、新しいお母さんと暮らしていたといいます。
その一方で、6歳の時に、ジャズのベース奏者として進駐軍クラブなどで演奏していたお父さんに連れられて、進駐軍のキャンプのステージで歌うようになると、その歌声はたちまち評判になったといいます。
今回は、伊東ゆかりさんの幼少期(生い立ち)から三人娘でブレイクするまでをご紹介します。
伊東ゆかりのプロフィール
伊東ゆかりさんは、1947年4月6日生まれ、
東京都品川区の出身、
血液型はAB型、
学歴は、
杉並区立高井戸第二小学校
⇒谷区立広尾中学校
関東学園女子高等学校(現・関東国際高等学校)中退
趣味は、テニス、スキー、水中エクササイズ、
ちなみに、本名は「伊東信子」というそうです。
伊東ゆかりは4歳の時に母親が家を出て行って帰って来なくなっていた
伊東ゆかりさんは、ジャズのベース奏者だったお父さんの謙吉さんのもと、2人きょうだい(弟が1人)の長女として誕生したそうですが、
伊東ゆかりさんが4歳の夏、お母さんが家を出ていったまま帰って来なかったそうで、
伊東ゆかりさんは、その時のことを、
昼寝をしている時に唐草模様の風呂敷に色んな物を詰めて、私と弟の方を見ながらスッスッスと出て行ったのを覚えている。
抜き足差し足で出て行って、どこかへ出掛けるのかと思っていたが、全然帰ってこなくて。私は捨てられたんだって
と、語っています。
伊東ゆかりは4歳の時に母親と決別していた
しかし、それから数カ月後、お母さんは再び帰って来たそうで、弟はお母さんのところに行ったそうですが、
伊東ゆかりさんは、お母さんに「こっちにおいで」と言われるも、絶対に行かず、自身の中でお母さんと決別し、お父さんと暮らすことに決めたのだそうです。
伊東ゆかりは6歳の時に父親に付き合わされて進駐軍のキャンプのステージで歌を歌うようになっていた
そんな伊東ゆかりさんは、6歳の時、終戦後、ジャズのベース奏者として進駐軍クラブなどで演奏していたお父さんに、お父さんのバンドのリハーサルで歌を歌わされたそうですが、
このことがきっかけで、進駐軍のキャンプのステージで歌を歌うようになったそうです。
(伊東ゆかりさんは、幼い頃、部屋の隅にいることが好きで、人と話すことが好きではなく、笑わない子供だったそうで、それを心配したお父さんが、人前で歌でも歌わせたら性格が明るくなるのでは、と思ってのことだったそうです)
すると、伊東ゆかりさんの歌声はたちまち評判となり、7歳の時には、ラジオドラマに出演して主題歌を歌うほか、のど自慢大会に出場して優勝したり、ジャズフェスティバルに出演するなど、引っ張りだことなったのだそうです。
伊東ゆかりは小学3年生の時に父親が再婚し継母からしつけを受けていた
そんな中、伊東ゆかりさんが小学校3年生の時には、お父さんが再婚したそうで、
それまで、伊東ゆかりさんは、スプーンでしかご飯を食べられなかったそうですが、新しいお母さん(継母)に手を叩かれながらも、お箸の持ち方を教えられたそうで、
新しいお母さんは、幼少期に実の母親から受けられなかったしつけを一からやってくれたのだそうです。
また、小学4、5年生の時には、伊東ゆかりさんは歌手の仕事があったことから、学校を早引きすることが多くなり、新しいお母さんが伊東ゆかりさんの代わりに席に座って午後の授業を受け、夜、伊東ゆかりさんが家に帰ってくると、ノートを出して勉強を教えてくれたのだそうです。
ただ、クラスメイトからは、
なぜお母ちゃんが来てお前来ないんだ?
と、言われたそうで、
これが嫌で嫌でたまらず、伊東ゆかりさんは、新しいお母さんに、
なんで出しゃばったことをするの!
と、猛烈に反抗したことがあったそうですが、
新しいお母さんに叩かれて、目が覚め、その後は、ほとんど反抗することはなく、新しいお母さんとは成熟した関係を築くことができたのだそうです。
伊東ゆかりの父親は4度離婚していた
しかし、お父さんは、このお母さんとも別れてしまったそうで、その後、お父さんは、若い女性と3度目の結婚をしたそうですが、
こちらもすぐに別れてしまい、結局、お父さんは合計4度も結婚&離婚を繰り返したのだそうです。
伊東ゆかりは小学5年生の時に「クワイ河マーチ」でレコードデビュー
そんな伊東ゆかりさんは、1958年6月、小学5年生の時に、映画「戦場にかける橋」の主題歌のカバー「クワイ河マーチ」でレコードデビューしています。
「クワイ河マーチ」
伊東ゆかりは15歳の時に三人娘(中尾ミエ、園まり)として人気を博していた
以降、伊東ゆかりさんは、海外ポップスの日本語カバーを歌い続けていたそうですが、やがて、ロカビリーブームが到来し、また、歌手もテレビや映画に出演しながら人気を獲得していくという時代に移り変わっていったそうで、
伊東ゆかりさんも、1962年、15歳の時には、中尾ミエさん、園まりさんと共に、三人娘として人気番組「ザ・ヒットパレード」「シャボン玉ホリデー」に出演し、人気を博したのでした。
伊東ゆかりは19歳の時に「小指の想い出」が150万枚を売り上げる大ヒットを記録
そして、1967年2月10日にリリースした「小指の想い出」は150万枚を売り上げる爆発的なヒットを記録すると、
以降、伊東ゆかりさんは、「恋のしずく」「星を見ないで」「朝のくちづけ」「知らなかったの」など、ヒット曲を連発したのでした。
予定に続く
「小指の想い出」
1960年代後半、「小指の想い出」「恋のしずく」「星を見ないで」「朝のくちづけ」「知らなかったの」など、次々とヒットを連発し、人気歌手の地位を不動のものにした、伊東ゆかり(いとう ゆかり)さんですが、 プライベートでは、 …