若い頃は、吉永小百合さん、和泉雅子さんと共に、「1960年代を代表する名古屋美人の1人」と評され、「日活三人娘」として活躍された、松原智恵子(まつばら ちえこ)さん。今回は、そんな松原さんの生い立ちから上京までの足跡をご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

松原さんは、1945年1月6日生まれ、
愛知県名古屋市のご出身(岐阜県揖斐郡池田町生まれ)、

身長158センチ、

血液型はO型、

学歴は、
名古屋市立桜台高校
⇒菊華高等学校(現・杉並学院高等学校)へ編入
⇒明治大学二文英文学科卒業

特技は、
日本舞踊、乗馬、

ちなみに、本名は「漆原智恵子」です。

実家はお金持ちだった

松原さんは、戦時中、名古屋空襲を避けるためにお母さんが疎開していた岐阜県で、一男三女の末っ子として誕生すると、戦後は、実家のある名古屋に戻り、お父さんが不動産業、お母さんが「松原荘」という旅館・銭湯を営む両親のもと、とても裕福な少女時代を過ごしたそうです。

ただ、1959年、松原さんが中学生の時には、伊勢湾台風で土手が決壊し、家の中にまで水が上がってきたそうで、家族全員無事だったものの、一階にあった結婚式を間近に控えたお姉さんの嫁入り道具は流されたり水浸しになるなどの大被害に遭ったそうです。

(当時高価だったテレビは、お父さんが抱えて二階に避難させ、無事だったそうです。)

美人姉妹で有名だった年の離れた姉に憧れていた

そんな松原さんには、12歳年上と8歳年上の年の離れたお姉さんが2人いたのですが、お姉さんたちは、近所でも美人姉妹で知られ、各地のミスコンに応募しては、「ミス名古屋」「ミス海の女王」を受賞していたそうで、

松原さんは、小さい頃から、そんなお姉さんたちに憧れ、髪型やファンション、何から何までお姉さん達の真似をし、お姉さんたちがミスコンで優勝し、たくさんの賞品を持って帰ってくるのを見るたびに、とてもうらやましく思っていたのだそうです。

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「ミス16歳コンテスト」で入賞し日活へ

こうして、成長した松原さんは、キャビンアテンダントに憧れ、東京の外語大学を目指していたそうですが、15歳(高校1年生)の時、浅丘ルリ子さん主演の日活映画「十六歳」の宣伝を兼ねた、「ミス16歳コンテスト」が中部地方で開催されたそうで、副賞の「東京見学」目当てに応募すると、見事、合格者の10名に選ばれます。

そして、お目当ての東京見学をすると、そのコースの中には、「日活」の撮影所もあり、立ち寄った際、10名の合格者のうち、松原さんともう一人だけ声をかけられてお化粧をされると、カメラの前でいろんな質問をされたそうで、その後、実家に「日活」からスカウトの誘いが。

これには、15歳で好奇心旺盛な松原さんはノリノリで、当初は、お母さんが東京での一人暮らしを心配して反対するも、最終的には、12歳上のお姉さんの旦那さんが東京出身だったことから、その実家に下宿させてもらうことで、お母さんも送り出してくれたそうで、

松原さんは、1961年1月、高校1年の3学期を休学し、

3カ月間で女優としてやっていけるめどが立たなければ戻ってくる

という約束で、意気揚々と上京されたのでした。

「松原智恵子の若い頃が美人!吉永小百合を凌ぐブロマイド売上だった!」に続く

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