「劇団四季」では次々と主演を務め、看板俳優として活躍するも、1979年、29歳の時、「劇団四季」を退団された、鹿賀丈史(かが たけし)さん。以降、次々とテレビドラマや映画に出演されると、金田一耕助役は原作者・横溝正史も認めるハマり役となります。

「鹿賀丈史が劇団四季を退団した理由とは?」からの続き

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NHK大河ドラマ「黄金の日日」でテレビドラマデビュー

もっといろいろな世界でお芝居をしてみたいと、1979年、29歳の時に、「劇団四季」を退団された鹿賀さんは、

実は、すでに、「劇団四季」在籍中の1978年に、NHK大河ドラマ「黄金の日日」でテレビドラマデビューされているのですが、


「黄金の日日」より。

「劇団四季」を退団後は、

1979年「失楽園’79」
1979~1980年「三男三女婿一匹III」
1980年「松本清張シリーズ・天才画の女」
     「夜明けのタンゴ」
     「天皇の料理番」
     「妻は霧の中で」
     「江戸の朝焼け」


「天才画の女」より。鹿賀さんと竹下景子さん。


「天皇の料理番」より。(左から)鹿賀さん、堺正章さん、明石家さんまさん。


「江戸の朝焼け」より。(左から)小林桂樹さん、鹿賀さん、沖雅也さん。

と、立て続けにテレビドラマに出演されます。

「野獣死すべし」の松田優作の相棒役で映画デビュー

そして、映画でも、角川春樹さんの目に留まり、「野獣死すべし」で、主人公・伊達邦彦(松田優作さん)の相棒・真田徹夫役に抜擢されて、映画デビューを果たされているのですが、

松田さんが、カメラや照明のスタッフをすべて自分に引っ張っていき、自分でセリフを直したり、自分で作品を作っていこうとする姿に、とても驚かれたそうです。(舞台ではありえないことだったため)

また、松田さんと二人でお芝居を作り上げるシーンも多かったそうで、そのたびに、鹿賀さんは、松田さんのお芝居に、自分なりに対抗しようとしていたそうですが、

そんな鹿賀さんに対し、松田さんは、

お前なりに好きにやれ

と、言ってくれ、

時々は、

そういう芝居は損だからやめた方がいいよ

と、ボソッと言ってくれるなど、映画では新人だった鹿賀さんを温かく迎え入れてくれたそうで、


「野獣死すべし」より。(左から)松田優作さん、小林麻美さん、鹿賀さん。

鹿賀さんは、

同年代(松田さんがひとつ年上)のトップを走っている人間と組んでみて、“映画のカメラの前に存在する”というのはこういうことかと。お芝居をしていると、無言だけど彼からメッセージががんがんくるんです。

僕のことを理解してくれようとしている。劇団では気心が知れているから、そんな工程はありません。これが一緒に映画を作るということかと。最初に松田優作という人と一緒にやれたのは大きな宝でした。

と、松田さんとの出会いが、大きな転機となったことを明かされています。

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金田一耕助は原作者・横溝正史も認めるハマり役

そんな鹿賀さんは、1981年には、横溝正史さんの「金田一耕助シリーズ」を原作とする、篠田正浩監督作品「悪霊島」で、主人公・金田一耕助役に抜擢され、

原作者の横溝さんをして(角川春樹さんとの対談で)、

これまでの中では、最も金田一耕助に似てるんじゃないの。 ぼくは、「Gメン’75」でひいきだったから、彼がやるなら いいだろうと思っていた。

うってつけすぎる位、うってつけだったね。鹿賀丈史が、最後の金田一耕助として、本当に良かったと思ってる。

と、いわしめるほどのハマり役となっているのですが、

鹿賀さんは、

金田一は飄々とした人間だと思います。フラッと現われて、その中で眼光鋭く物事を捉える。でも、あくまで推理力よりも不思議な自由人。そういうことを意識して演じました

と、おっしゃっており、

「劇団四季」浅利慶太さんも一目惚れした、鹿賀さんのミステリアスな存在感こそが、金田一そのものだったのかもしれません。

「鹿賀丈史はレ・ミゼラブルに14年間主演していた!」に続く

「悪霊島」より。

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