1982年、「安全地帯」に詞を提供した「ワインレッドの心」と「恋の予感」が立て続けに大ヒットとなり、一躍、「安全地帯」をトップアーティストの地位に押し上げた、井上陽水(いのうえ ようすい)さんは、

1984年には、中森明菜さんに、詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」がオリコン週間シングルチャート初登場1位、62万枚を売り上げる大ヒットを記録しています。

今回は、井上陽水さんが中森明菜さんに「飾りじゃないのよ涙は」を提供した経緯、中森明菜さんが「飾りじゃないのよ涙は」の大ヒットでアイドルからの脱却に成功したエピソードなどを、関係者の証言を交えてご紹介します。

井上陽水と中森明菜

「井上陽水と玉置浩二の出会いは?安全地帯はバックバンドだった!」からの続き

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「飾りじゃないのよ涙は」は井上陽水が自ら志願して中森明菜に提供した楽曲だった

実は、「飾りじゃないのよ涙は」は、井上陽水さんが、自ら中森明菜さんの担当プロデューサーに連絡を取って制作した楽曲だったそうで、

井上陽水さん、中森明菜さんの2人共と交流の深かったという某音楽プロデューサーは、

井上陽水というのは頼まれて作る人間じゃないですからね。その後のPUFFYなんかもそうでしたが、とにかくこだわりの強い性格ですから、まずは自分自身が興味を持たないとダメなんですよ。

そんな中で明菜さんに関しては…。具体的なキッカケは分かりませんが彼女のボーカルに異常なほどの興味を持っていました。というより、ほれ込んでいたといったほうがいいですね。

結局は陽水自身の気持ちが抑えられなくなったのだと思います。で、ワーナーで明菜さんを担当していた島田(雄三)さんに自ら連絡をとってプレゼンしたのです

と、語っています。

井上陽水は中森明菜のボーカルを高く評価していた

そんな井上陽水さんは、中森明菜さんのデビュー間もない頃から、中森明菜さんのボーカルを高く評価し、中森明菜さんを好きな歌手に挙げていたほか、

中森明菜さんのアルバム「歌姫」(1994年3月24日発売)の発売が決まった時には、アルバムジャケットのタイトルを書いたそうで、

このような縁もあり、井上陽水さんが最初に、中森明菜さんのことを”歌姫”と呼ぶようになったと言われています。

井上陽水が中森明菜に提供した「飾りじゃないのよ涙は」は当初はアルバム収録のみの予定だった

さておき、井上陽水さんから連絡を受けた、中森明菜さんの担当プロデューサーの島田雄三さんによると、

井上陽水さんには、中森明菜さんのアルバム「POSSIBILITY」に収録する曲として、「夢の中へ」のような曲を依頼したそうですが、その際、出来上がった曲が「飾りじゃないのよ涙は」だったといいます。

ただ、当初、島田雄三さんが、「飾りじゃないのよ涙は」のデモテープを聴いた時には、シングル向きではないなと、アルバム収録のみで考えていたそうですが、

井上陽水さんがスタジオにオケ録(伴奏を録音すること)に来た際、中森明菜さんと同じキーで仮歌を歌うと、その仕上がりが素晴らしく、スタジオ中が井上陽水さんの世界に引き込まれ、シングルカットが決まったのだそうです。

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井上陽水の「飾りじゃないのよ涙は」で中森明菜はアイドルからの脱却に成功していた

こうして、1984年11月14日にリリースされた「飾りじゃないのよ涙は」は、オリコン週間シングルチャート初登場1位、62万枚を売り上げる大ヒットを記録しているのですが、

「飾りじゃないのよ涙は」
「飾りじゃないのよ涙は」

某音楽評論家は、この大ヒットについて、

インパクトのある作品と衣装が見事に融合して、アイドルからボーカリストへと一気に脱却したように思います。そういった意味でも明菜の新時代の始まりは『飾りじゃないのよ涙は』だったといえますね

と、語っています。

というのも、この年は、中森明菜さんのデビュー3年目の年で、中森明菜さんは、アイドルからの脱却を模索していたことから、デビュー以前から中森明菜さんの楽曲制作を担当してきたディレクターとの間に隙間風が吹き始めていたといいます。

また、中森明菜さんは、楽曲制作だけではなく、それまでのアイドル的なミニスカートのドレスにも疑問を呈し、衣装に合わせて振り付けも自分からアイデアを出すようになっていたそうで、

当時、中森明菜さんが所属していたレコード会社「ワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)」で担当プロモーターだった田中良明さん(現在は「沢里裕二」として作家活動)も、

この頃、中森明菜さんと意思疎通が取れなくなり、ギクシャクした部分があったことを明かしています。

それが、大きく目に見えて変わったのが、この井上陽水さんが提供した「飾りじゃないのよ涙は」からだったそうで、

中森明菜さんは、楽曲とともに、肩パットの入ったバブル系のスーツに身を包み、大きくイメージチェンジを図ると、見事、アイドルからアーティストへとの脱却に成功したのでした。

井上陽水と中森明菜
「飾りじゃないのよ涙は」を歌唱する中森明菜さんと演奏でサポートする井上陽水さん。

「井上陽水の「少年時代」は藤子不二雄Aからの依頼!荻野目洋子のB面予定だった?」に続く

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