1996年と1997年には、女性二人組のユニット「PUFFY」に歌詞を提供した、デビュー曲「アジアの純真」と4枚目のシングル「渚にまつわるエトセトラ」が、共にミリオンセラーとなる大ヒットとなった、井上陽水(いのうえ ようすい)さんですが、
実は、「アジアの純真」の、一見ナンセンスな歌詞「ペキン、ベルリン、ダブリン、リベリア」は、デモテープの奥田さんの鼻歌(ハミング)の音声を書き起こしたものだったといいます。
「井上陽水の「少年時代」は藤子不二雄Aからの依頼!荻野目洋子のB面予定だった?」からの続き
井上陽水は「PUFFY」に提供した「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」がミリオンセラー
井上陽水さんは、1990年にリリースしたシングル「少年時代」が自身最大のヒットを記録すると、その後は、活動のペースを落としていたそうですが、
1996年、女性二人組のユニット「PUFFY」のデビュー曲として、歌詞を提供した「アジアの純真」(作曲は奥田民生さん)が、ミリオンセラーとなる大ヒットを記録すると、
翌年の1997年にも、同じく、井上陽水さん作詞、奥田民生さん作曲で、「PUFFY」に提供した4枚目のシングル「渚にまつわるエトセトラ」がミリオンセラーを記録し、一躍「PUFFY」を人気歌手へと押し上げています。
「渚にまつわるエトセトラ」
「アジアの純真」の歌詞「ペキン、ベルリン、ダブリン、リベリア」は、奥田民生の鼻歌を書き起こしたものだった
ちなみに、「アジアの純真」が、ナンセンスな歌詞、「ペキン、ベルリン、ダブリン、リベリア」で始まるのは、井上陽水さんが、奥田民生さんから渡されたデモテープを初めて聴いた時、奥田民生さんの鼻歌が「ニニン~ニニニン~~♪」だったそうで、
井上陽水さんには、「ペキン、ベルリン」にしか聴こえなかったからだそうです(笑)
(送り返されたデモテープを聴いた奥田民生さんも、自分の鼻歌が「ペキン、ベルリン・・・」に聞こえることに同意したそうです)
井上陽水は「アジアの純真」を作るため「PUFFY」の2人に生い立ちなどの聞き取り調査を行っていた
また、「PUFFY」の大貫亜美さんと吉村由美さんによると、井上陽水さんとレコーディングスタジオで初めて会った際、
(井上陽水さんは、「PUFFY」がどんな子たちなのか、歌詞を書くためのリサーチに来たそうです)
井上陽水さんに、
君にインタビューするからここにいらっしゃい
と、言われ、生い立ちから何から聞かれたそうで、
大貫亜美さんは、幼少期の2年半くらい、韓国のソウルに住んでいたことから、そのことを井上陽水さんに伝えたそうですが、
大貫亜美さんは、
それがアジアっぽい歌詞につながったのかなって。インタビューから何をくみ取ってくださったのか、ほかにはよくわからない感じになってましたけど(笑)。
と、語っています。
また、井上陽水さんが奥田民生さんの鼻歌を書き起こしたという説については、
大貫亜美さんは、
ああ、陽水さんがそんなことをおっしゃってましたね。でも果たしてそうなのか?(笑)
と、語っています。
井上陽水は山口百恵、沢田研二ほか他のアーティストにも楽曲を多数提供
そんな井上陽水さんは、その後も、「PUFFY」に、
- 1998年「CAKE IS LOVE」
- 2007年「オリエンタル・ダイヤモンド」※作曲は奥田民生さん
を、提供しているのですが、
「PUFFY」のほかにも、
- 山口百恵さんに、
- 「Crazy love」(1980年)
- 沢田研二さんに、
- 「背中まで45分」(1982年)
- 安全地帯に、
- 「ワインレッドの心」(1983年)※作詞
- 「真夜中すぎの恋」 (1984年)※作詞
- 「恋の予感」(1984年)※作詞
- 中森明菜さんに、
- 「飾りじゃないのよ涙は」 (1984年)
- 「ムーンライトレター」(1993年)※作曲
- 小泉今日子さんに、
- 「月ひとしずく」 (1994年)※奥田民生さんと共作
- 篠原涼子さんに、
- 「ダメ!」(1995年)
など、様々なアーティストに楽曲を提供しています。
「井上陽水はビートルズの音楽とルックスを真似し考え方も影響を受けていた!」に続く
1969年、「アンドレ・カンドレ」名義でデビューした際には鳴かず飛ばずも、1972年3月、井上陽水として「人生が二度あれば」で再デビューすると、1973年にリリースした3枚目のアルバム「氷の世界」が日本初のミリオンとなる …