1998年、高校3年生の時、アイドルグループ「チェキッ娘」の第1期生オーディションに合格し、アイドル活動を始めるも、1年で解散となると、その後は、ソロ活動とキャバクラのバイトの掛け持ちを経て、”崖っぷちアイドル”としてブレイクを果たした、熊切あさ美(くまきり あさみ)さん。
今回は、熊切あさ美さんの、生い立ち、若い頃(「チェキッ娘」としてデビュー~芸能活動とキャバクラのバイトの掛け持ち~崖っぷちアイドルでブレイク)の経歴を時系列でご紹介します。

熊切あさ美は4歳の時にモダンバレエを習い始めていた
熊切あさ美さんは、2人姉妹の長女として誕生すると、4歳の時、モダンバレエを習い始めたそうですが、仕事をするようになってからもずっと続けていたそうです。
ちなみに、熊切あさ美さんは、モダンバレエ以外にもたくさんの習い事をしていたそうで、ピアノも、モダンバレエ同様、ずっと続けていたそうです。
1998年、アイドルグループ「チェキッ娘」としてデビューするも、1999年に「チェキッ娘」解散後は、なかなか仕事に恵まれない状況の中、2002年、バラエティ番組「踊る!さんま御殿!!」に出演したことをきっかけに「崖っぷち …
熊切あさ美は中学生時代にテレビドラマ「3年B組金八先生」に憧れ女優を志すようになっていた
また、熊切あさ美さんは、幼い頃、お父さんの仕事の都合で何度も小学校を転校していたことから、幼なじみという存在がおらず、テレビドラマに登場する幼なじみの関係に憧れを抱いていたそうで、
女優という職業に就けば、そうした経験ができるのではないかと考えるようになり、中学時代には、テレビドラマ「3年B組金八先生」で活躍していた小嶺麗奈さんや榎本加奈子さんに強く惹かれたそうで、やがては、女優への道を志すようになったそうです。
熊切あさ美は高校時代に2年間で48回のオーディションに不合格となっていた
そんな熊切あさ美さんは、高校時代は、アルバイトをしながらレッスンに打ち込み、様々なオーディションにチャレンジしたそうですが・・・
2年間で48回オーディションに臨むも、一度も合格することはなかったのだそうです。
熊切あさ美は高3の時にアイドルグループ「チェキッ娘」のオーディションに合格するも「チェキッ娘」は1年で解散していた
そんな中、1998年、高校3年生の時、ついに、アイドルグループ「チェキッ娘」の第1期生オーディションに合格したそうで、
2002年、「崖っぷちアイドル」としてブレイクすると、2020年には、自身16年ぶりとなる写真集「Bare Self」が大ヒットとなり、再ブレイクを果たした、熊切あさ美(くまきり あさみ)さんですが、高校生の時には、テレ …
熊切あさ美さんは、同年(1998年)、「チェキッ娘」の初代メンバーとしてデビューすると、精力的に活動し、グループの中でも、最も高い人気を誇ったのですが・・・
グループ自体の人気が出ず、1999年11月、「チェキッ娘」はたった1年で解散してしまったのでした。

ただ、「チェキッ娘」は、当初6人だったメンバーが最終的には20人となり、女性同士の揉め事も多かったそうで、熊切あさ美さんは、精神的に参り、1年が限界だったといいます。
中学生の時、テレビドラマ「3年B組金八先生」を見て女優に憧れ、高校生の時には、2年間で48ものオーディションを受けるも、どれも不合格だった中、高校3年生の時、ついに、アイドルグループ「チェキッ娘」のオーディションに合格し …

「チェキッ娘」より。中央が熊切あさ美さん。
熊切あさ美は21歳の時にソロ活動に転向するも仕事は激減し生活は苦しかった
その後、熊切あさ美さんは、「チェキッ娘」の内部ユニットとして結成されていた3人組ユニット「METAMO」で活動を続けていたのですが、
こちらも、グループ活動に限界を感じ、2002年、解散を申し出たそうで、「METAMO」は2002年3月31日に解散。

「METAMO」時代の熊切あさ美さん。
こうして、ソロ活動を開始した熊切あさ美さんですが、マネージャーもつかず、仕事は激減し、
(月給は4万5千円になったそうです)
さらには、追い打ちをかけるように、当時、交際していた相手の二股が発覚するなど失恋も重なったそうで、引きこもり状態となってしまったのだそうです。
1998年、高校3年生の時に、アイドルグループ「チェキッ娘」としてデビューするも、翌年の1999年11月、わずか1年で「チェキッ娘」が解散すると、その内部ユニットだった「METAMO」で活動を続けていた、熊切あさ美(くま …
熊切あさ美は21歳の時に仙台のキャバクラでNO.1もマネージャーに東京に連れ戻されていた
そんな中、某番組で、共演者が、
客商売経験者はトーク力がある
と、言った言葉を聞いて、一念発起し、
トーク力向上と社会勉強のため、仙台のキャバクラで働くことを決意したそうで、
(単身で行く勇気がなかったことから)失恋した一般人の友達を誘い、仙台に行って、飛び込み面接で、社長にだけ芸能人であることを明かしたところ、即採用されたそうで、寮に住み込みで働き始めたのだそうです。
すると、店では成績1位になったそうで、若い客も多く、優しくされ、楽しかったことから、
芸能界を辞めてお客と結婚した方がいいかも
とまで考えるようになったそうですが、
マネージャーに、仕事の連絡を2日前に欲しいという要望を出していたことや、仙台と東京を往復する大量の荷物などが、怪しまれ、たった1ヶ月後には、事務所にキャバクラでのアルバイトがバレてしまったそうで、
二重契約になるため、即座にキャバクラを辞めるよう命じられ、やむなく東京に戻ったのだそうです。
あるバラエティ番組で、共演者が「客商売の経験があるコは強い(トーク力がある)」と話していたのを聞いて、トーク力を磨こうと、テレビ局のない(と思っていた)仙台のキャバクラで働くことを決意した、熊切あさ美(くまきり あさみ) …
熊切あさ美は21歳の時に「踊る!さんま御殿!!」で「崖っぷちアイドル」として一躍ブレイク
ただ、その後、「踊る!さんま御殿!!」(2002年5月28日放送)に出演した際、司会の明石家さんまさんに何をしているのかと聞かれ、
とっさに、
崖っぷちアイドルです
と、答えると、
これをさんまさんが面白おかしくいじってくれたことで、一躍、ブレイク。
その後、バラエティ番組や旅番組のレギュラーなど仕事が殺到したのだそうです。
芸能活動をしながら、仙台のキャバクラで働き始めると、成績が1位になるほどの人気を博し、人に優しくされたり、愛されたりする喜びを知り、芸能界を辞めてお客さんと結婚しようとまで思い始めていたという、熊切あさ美(くまきり あさ …

熊切あさ美は芸能界に踏みとどまる為どんな仕事も断らずに引き受けていた
ちなみに、当時のバラエティ番組は、過激な企画が多く、タレントが出演を断ることが多かったことから、その代役を頼まれることが多かったそうですが、
熊切あさ美さんは、芸能界に踏みとどまるため、どんな仕事も断らずに引き受けたそうで、
ある番組では、蛭子能収さんの代わりに、恐怖を押して、バンジージャンプに挑戦したり、
2002年、「踊る!さんま御殿!!」に出演した際、「崖っぷちアイドル」と自己紹介して注目を浴びた、熊切あさ美(くまきり あさみ)さんは、芸能界に踏みとどまるため、どんな仕事でも引き受けたことから、引っ張りだこになったそう …

泳げないにもかかわらず、8メートルの滝から飛び降りたり、クワガタムシに鼻を挟ませたりと、体を張ったバラエティ番組の企画を引き受けたそうです。
芸能界に踏みとどまるためにはどんな仕事も断ってはいけないと、恐怖を押して、蛭子能収さんの代わりにバンジージャンプを跳んだこともあったという、熊切あさ美(くまきり あさみ)さんは、そのほかにも、泳げないにもかかわらず、8メ …
熊切あさ美が30代前半は、島田紳助、やしたかじん、上沼恵美子らに支えられていた
というのも、熊切あさ美さんは、”崖っぷちアイドル”として頑張っていれば、いつかは、もともと志望していた女優の仕事が来ると信じていたからだそうですが・・・
なかなか女優としてのオファーが来ず、芸能界を辞めることを考え始めたといいます。
そんな中、以前、共演したことがあった島田紳助さんに電話をかけたところ、
1年頑張ってみろ
と、励まされたそうで、
もう少し踏みとどまることにしたのだそうです。
バラエティ番組で、体を張るアイドルがあまりいなかったこともあり、次から次へと来る難易度の高い仕事も、一切、断らずに引き受け、8メートルの滝に飛び込んだり、クワガタムシに鼻を挟ませるなど、「崖っぷちアイドル」としての仕事を …
すると、紳助さんからは、大阪の番組の仕事ももらえたほか、やしきたかじんさんや上沼恵美子さんが、何度も大阪の番組に呼んでくれたそうで、
(特にたかじんさんは事務所を辞める際にも相談に乗ってくれたそうです)
ついに、2014年には、映画「歌舞伎ハイスクール」で教師役のオファーが来たのだそうです。
1998年、アイドルグループ「チェキッ娘」でデビューすると、「チェキッ娘」が解散した2002年、芸能界に踏み留まるためにはどんな仕事でもやる「崖っぷちアイドル」としてブレイクし、以降、バラエティ番組や女優で活躍している、 …

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