1971年に「ザ・タイガース」が解散した後も、1978年には、テレビドラマ「西遊記」の沙悟浄(さごじょう)役で人気を博すほか、1984年には、情報番組「ルックルックこんにちは」の司会でお茶の間の人気を博した、岸部四郎(きしべ しろう)さん。
そんな岸部四郎さんは、「ザ・タイガース」では最年少だったのですが、「ザ・タイガース」のメンバーの中で、最初に他界されています。
今回は、岸部四郎さんが2003年に脳内出血で倒れてから他界されるまでの経緯について、元「ザ・タイガース」の森本太郎さんやお兄さんの岸部一徳さんの証言を交えながらご紹介します。

「岸部四郎の借金の原因は?自己破産後も「落とし穴」で再ブレイクしていた!」からの続き
岸部四郎は54歳の時に脳内出血の後遺症により車椅子生活を余儀なくされていた
岸部四郎さんは、2003年、「脳内出血」で倒れるも、緊急入院し、なんとか一命をとりとめたそうですが、その後は、後遺症に悩まされたそうで、
歩行困難となり、車椅子での生活をを余儀なくされたほか、「視野狭窄」も患い、右目の視野が3分の1しか無くなってしまったといいます。
そんな中、2005年には、テレビドラマ「電車男」に出演するなど、仕事を再開していたのですが・・・

「電車男」より。
2007年には、献身的に看病してくれていたという奥さんが43歳という若さで急死し、岸部四郎さんはショックでうつ状態になったそうで、
2009年には、身体の身動きが取れなくなって救急車を呼び、救急搬送されて入院するなど、この頃から、体調が悪化したといいます。
(そのため、メディアへの露出も激減しました)
岸部四郎は62歳の時、一夜限りの「ザ・タイガース」復活ステージで「若葉のころ」を歌い上げていた
それでも、2012年1月24日、沢田研二さんのライブツアー「沢田研二LIVE 2011-2012」の最終日の日本武道館公演で、一夜限りの「ザ・タイガース」復活として、「ザ・タイガース」のメンバーが5人集結した際には、
お兄さんの岸部一徳さんに支えられながら登場し、「ザ・タイガース(第2期)」のメンバー(瞳みのるさん、森本太郎さん)が見守る中、ステージの真ん中に用意されていた椅子まで歩いて行くと、椅子に座って「ザ・ビージーズ」の「若葉のころ」を歌い上げており、
岸部四郎さんは、
夢のようです
と、感無量の様子で語っています。
(「ザ・タイガース」のメンバー5人が同じ場所で集結するのは、1971年1月24日に日本武道館で解散コンサートを行って以来、41年ぶりだったそうです)

(左から)岸部一徳さん、岸部四郎さん、沢田研二さん、瞳みのるさん、森本太郎さん。
岸部四郎は62歳の時に老人ホームに入所していた
しかし、同年(2012年)2月、千葉県のお姉さんの家で暮らしていたという岸部四郎さんは、夜中にトイレに行った際に転んで大腿骨を骨折し、手術を受けると、
その後は、リハビリ病院を経て、千葉県内のグループホーム(老人ホーム)で暮らすようになり、事実上、芸能界から引退となったそうで、
(お兄さんの岸部一徳さんやお姉さんが、定期的にお見舞いに行っていたそうです)
岸部一徳さんは、グループホームでの岸部四郎さんについて、
身の回りの世話は一回り上の姉たちがよくやってくれた。僕も月に何度か行ってたかな。お年寄りに交じって体操を一緒にやったりして。
何かあっても『誰かが何とかしてくれるやろ』と思うタイプね。リハビリも、もうちょっとがんばってほしかったんだけど……。でも、暗くなりすぎないのは性格だよね。
僕が行っても、話すよりおみやげを気にしたりして。わらび餅なんか小さく切ってやると『おいしい』なんて言ってね。ただ、最後のほうは、食べることもできなくなった。それからの衰弱が早かったですね
と、語っています。
岸部四郎は64歳の時、「ザ・タイガース」復活ライブツアー最終日に「イエスタデイ」を熱唱していた
それでも、岸部四郎さんは、2013年12月27日には、「ザ・タイガース」の復活ライブツアー最終日の東京ドーム公演、4万5千人の観客が見守る中、再び車椅子姿で登場すると、
兄の岸部一徳さん、沢田研二さんほか「ザ・タイガース」のメンバーが唱和・演奏する中、自ら選んだというビートルズの「イエスタデイ」を熱唱。

(左から)岸部一徳さん、瞳みのるさん、岸部四郎さん、沢田研二さん、加橋かつみさん、森本太郎さん。
ライブの後は、2012年以来、メディアの取材を受けていなかった岸部四郎さんの代わりに、岸部一徳さんが取材に応じ、
(2013年の東京ドームで)本人はもっと、やっぱり歌いたかったそうです。今はとにかくリハビリをして、車椅子ではなく歩いてやろうとしています。
(今後、披露する)機会があるかわからないけれど、普段、歌もけっこう歌っています。そんな状態なので、改めて本人が今すぐ取材を受けるとかではないけど、ちょっと元気になった時には、ぜひ(取材に)来てほしいんだけど(笑)
と、語っています。
岸部四郎は65歳の時に「森本太郎とスーパースター再結成15周年コンサート」にもゲスト出演していた
さらに、岸部四郎さんは、2014年11月21日には、「森本太郎とスーパースター再結成15周年コンサート」に、お兄さんの岸部一徳さん、甥の岸部大輔さんと共にゲスト出演し、車椅子姿でドノヴァンの「ラレーニャ」という曲を歌唱したのですが・・・
これが、岸部四郎さんの公での最後の姿となったのでした。
岸部四郎の死因は?
そして、2020年8月28日には、拡張型心筋症による急性心不全により、千葉県内の病院で、71歳で他界されたのでした。
ちなみに、森本太郎さんは、岸部四郎さんについて、
シローが病気になってからは、3度、同じステージに。2013年末にタイガースの東京ドーム公演に車いすで出たんです。その翌年は、僕のバンド「森本タローとスーパースター」の15周年ライブにも出てくれたけど、それが最後になったね。
少しずつ病気が悪くなっている感じはしていた。最初の頃はお見舞いに行っても(英ミュージシャンの)エリック・クラプトンの話をしたり、歌の練習をしたり。でもだんだんと口数が少なくなって。
最後のステージで歌った「ラレーニア」も、直前の練習では元気がなくて。ところが本番では結構な声が出てね。びっくりした。やっぱりステージ上では気持ちが違うんだろうな。シローもステージに立ちたかっただろうし、できればもっと歌いたかったと思うよ。
やはりタイガースで一番年下のシローが先に逝くなんて残念で仕方がない。早すぎる。みんなそれぞれに別れは来るけれど、シローの存在は僕にもタイガースファンにも胸の中にずっとある。シロー、本当に楽しい思い出をありがとう。
と、語っています。
「岸部四郎の前妻(最初の妻)はハーフ!離婚理由は?慰謝料は豪邸だった?」に続く
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プライベートでは、結婚を2回、離婚を1回、死別を1回している、岸部四郎(きしべ しろう)さんですが、前妻(最初の妻)は、日本人とポルトガル人のハーフの女性だったといいます。 今回は、岸部四郎さんの、前妻(最初の妻)との離 …







