CMソング、ミュージカル、歌謡曲と幅広い分野で約1万5000曲もの作曲をして、日本の音楽シーンに多大な影響を与え.1960年代後半には、佐良直美さん、ピンキーとキラーズ、由紀さおりさん、いしだあゆみさんを、一躍、人気歌手に押し上げた、いずみたくさん。
そんないずみたくさんは、プライベートでは、結婚を5回、離婚を4回しているといいます。
今回は、いずみたくさんの結婚歴(最初の妻から5番目の妻まで)と、それぞれの妻との馴れ初めと離婚理由をご紹介します。

「いずみたくとやなせたかしの出会いは?手のひらを太陽にほか共作は240曲!」からの続き
いずみたくの最初の妻は劇団員
いずみたくさんは、1950年代前半、20歳~22歳頃、自ら旗揚げした劇団「喜劇座」のメンバーで、後輩だったC子さんと、交際期間2年を経て、結婚しています。
いずみたくさんは、結婚後は、生活費を稼ぐため、トラックの運転手を始めると、安定した収入を得ることができたそうですが、その後、作曲家に転身したことで、夫婦の間に亀裂が生じ、離婚したそうです。
いずみたくの2番目の妻はビクターの歌手
いずみたくさんは、C子さんと離婚後、ビクター所属の歌手・M子さんと再婚しています。
いずみたくさんはM子さんと放送局で知り合い、スピード婚をしたそうですが、3年で離婚したそうです。
いずみたくの3番目の妻はファッションモデル
いずみたくさんは、1968年には、ファッションモデル出身のY子さんと結婚すると、その後、女の子が誕生し、新居も建て、仕事も順調だったそうですが、
やがて、夫婦仲がうまくいかなくなっていき、話し合いを重ねるなど、努力するも、Y子さんとの関係は冷えていくばかりだったそうです。
妻との話し合いはいつも罵り合いに発展
というのも、いずみたくさんは、男女の関係は、何回でも、何十回でも話し合って接点を見つけて行くことが重要だと考えており、争いやケンカは大嫌いだったそうですが、
一方、Y子さんはというと、感情の起伏が激しい人だったことから、Y子さんとの話し合いは、いつも、罵り合いに発展してしまい、最終的に、いずみたくさんが黙って終わる、というパターンになっていたのだそうです。
妻がいずみたくの仕事の内容に口出し
しかも、Y子さんは、
あたしがいないと、いずみたくは仕事が出来ない
と、言い、
だんだん、いずみたくさんの仕事の内容にまで口出すようになっていったそうで、(何気なくサラリと言う程度なら、まだ良かったものの)堂々と反対意見を言うことから、最終的には口論に発展し、いずみたくさんは、ただでさえ、忙しくて睡眠時間が短い中、家で安らぐこともできなかったのだそうです。
妻が社員に対して不平不満
また、Y子さんは、
たくサン、あの社員は不愉快ね。あたしに挨拶もしないのよ
と、いずみたくさんの社員への不平不満を平気で言うほか、
パーティーで、いずみたくさんが、友人をY子さんに紹介し損ねると、
あたしを無視した
と、言って機嫌を損ね、途中で帰ってしまい、部屋に閉じこもってしまったそうで、
そんな日々の中、いずみたくさんは、精神的に疲れていったといいます。
妻の意向で7000万円ものローンで豪邸を建築
そんな中、いずみたくさんは、8千万円で新居を建てたそうですが・・・
実は、いずみたくさんは、どちらかと言うと、機能的でコンパクトな家が好みだったそうですが、出来上がった新居は、Y子さんが好む3階建ての白亜の豪邸で、
(いずみたくさんは、全てをY子さんに任せていたことから、自分の非を認めつつも、完成した家を見てとても驚いたそうです)
しかも、7千万円という巨額の住宅ローンが残ってしまったそうで、当時のいずみたくさんは売れっ子の作曲家だったとはいえ、一介の個人の作曲家にとって、7千万円もの借金は非常に重荷となったのだそうです。
ただ、一言でも口を開けば、Y子さんと激しい口論になるのは目に見えていたため、いずみたくさんは対立を避け、黙っていたのだそうです。
いずみたくは3番目の妻とは3年で別居し、別居から7年で離婚調停の末に離婚が成立していた
そんな中、いずみたくさんは、シャンソン・コンクールで優勝した19歳のN子さんと知り合うと、N子さんもまた、感情の起伏の激しい女性だったそうですが、いずみたくさんはN子さんの甘い歌声が好きだったことから、急速に親しくなったそうで、
いずみたくさんは、新居ができて2年も経たないうちに、赤坂のホテルへ逃避し、ホテル住まいを始めたそうです。
すると、いずみたくさんとN子さんとの関係を知ったY子さんが、N子さんの家を盗聴し、恐喝するという事態に発展したそうで、
その後、いずみたくさんは、Y子さんとは、離婚調停でかなり揉めた末に離婚が成立したのだそうです。
(いずみたくさんは、Y子さんとの婚姻期間は10年だったそうですが、結婚して3年で別居となり、別居から7年で離婚したそうです)
いずみたくの4番目の妻は元バレリーナ
いずみたくさんは、Y子さんと離婚後は、「堀内完ユニーク・バレエシアター」の元バレリーナだったL子さんと4度目の結婚をしています。
いずみたくさんは、L子さんがいずみたくさんの劇団に応募してきたことで知り合うと、アメリカ帰りで明るくて朗らかなL子さんを気に入り、結婚したそうですが・・・
L子さんは、潔癖症だったそうで、家事をせず、結婚2年で離婚したそうです。
いずみたくは恋愛観が一途過ぎた?
ちなみに、いずみたくさんは、結婚と離婚を繰り返していることについて、著書「新ドレミファ交遊録」で、
どうやらボクは、知り合って好きになった女性と、すぐ結婚してしまう傾向があるようだ。ボクの場合、愛してしまった女とは、必ず結婚しなくてはいけないと思いこんでしまう。
良く言えば一途なのだろうが、悪く言えば幼稚であり、バカだと親友共は言う。
と、綴っています。
また、「ピンキーとキラーズ」のピンキーこと、今陽子さんは、いずみたくさんの恋愛観について、
先生は恋愛に貪欲(どんよく)で正直でした。好きになったらもうその人しか見えない。いくらヒット曲を出しても、別れるたびにそれまでの人に全てのお金を渡してね。
と、語っています。
いずみたくの5番目(最後)の妻は庸子
そんないずみたくさんは、いずみたくさんの劇団「イッツ・フォーリーズ」付属の俳優養成所に所属していた、庸子さんと5度目の結婚をしています。
いずみたくさんは、庸子さんに、アメリカに行っている1月半の間、飼い猫を預かってもらうように頼んだそうですが、いずみたくさんは、そのお礼にと、庸子さんにプロポーズし、結婚に至ったといいます。
結婚後のいずみたくさんと庸子さんの夫婦仲など、詳細は不明ですが、いずみたくさんは、1992年、「アンパンマン」のミュージカルシリーズ第6弾「それいけ!アンパンマン-アンパンマンと勇気の花」の挿入歌「すすめ!アンパンマン号」の作曲を手掛けていた際、病床に伏しており、鉛筆を持つ力さえ、失っていたそうですが、
庸子さんに口頭でメロディーを伝え、楽譜に書き起こしてもらう形で完成させたそうで、少なくとも、庸子さんとは、険悪な関係にはなっていなかったと思われます。
「いずみたくの子供は息子1人娘1人!孫はラブリーサマーちゃん!姪は?」に続く
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好きになった女性には一途になり、生涯で5回の結婚と4回の離婚をしたという、いずみたくさん。 今回は、そんないずみたくさんの子供、孫のラブリーサマーちゃん、そして、いずみたくさんが生前立ち上げた会社を引き継いでいるという姪 …








