田淵幸一は外木場義郎からこめかみ死球の前に肘にも死球を受けていた! スポーツ野球 1970年8月26日の広島戦で、外木場義郎投手から左こめかみに死球を受け、4日間もの間、意識不明となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、実は、この日、外木場投手からは、最初の打席にも肘に死球を受けていたとい […] 続きを読む
田淵幸一は若い頃こめかみに死球を受け4日間意識不明になっていた! スポーツ野球 ルーキーイヤーの1969年には、シーズン終盤に盛り返して22本塁打し、「新人王」に輝いた、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、プロ入り2年目の1970年も、オールスター前に17本塁打と、順調に本塁打を量産していたのですが […] 続きを読む
田淵幸一はルーキーのとき残15試合7本塁打で新人王を獲得していた! スポーツ野球 打撃成績が下降の一途をたどり、シーズン終盤の9月中旬頃には、「新人王」は絶望的だと言われた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、そんな中、後藤次男監督の命で、再び、捕手から一塁手に転向すると、その後は、残り15試合で […] 続きを読む
田淵幸一はルーキーでオールスターに出場しホームランを放っていた! スポーツ野球 キャッチャーから負担の少ないファーストに転向し、本来の打棒を取り戻しつつあった中、フロントの現場介入で、再び、キャッチャーに戻され、落胆していたという、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、そんな中、ファン投票ダントツ […] 続きを読む
田淵幸一はルーキーで開幕2日目に2打席連続本塁打を放っていた! スポーツ野球 公式戦初打席の平松政次投手との対戦では、速球に全く手が出ず、3球三振に倒れた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、その翌日の、大洋ホエールズとのダブルヘッダーの第2試合では、2打席連続本塁打を放ち、周囲を驚かせたとい […] 続きを読む
田淵幸一は東京六大学野球で通算22本塁打の新記録を達成していた! スポーツ野球 1965年春、慶應戦で東京六大学野球リーグ第1号を放つと、その後も、安定したバッティングでホームランを量産した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、結局、大学4年間で22本塁打を放ち、それまでの東京六大学野球リーグ記録だ […] 続きを読む
田淵幸一はアジア大会日本代表に1年生で唯一選ばれていた! スポーツ野球 高校時代の恩師である松永監督が法政大でも監督だったことから、1年生にもかかわらず、すぐにユニフォームを着させてもらうほか、エリートしか入れない合宿所(寮)にも入れてもらったという、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、当初 […] 続きを読む
田淵幸一は法政大では1年生ながら特別待遇を受けていた! スポーツ野球 高校1年生の時、球拾いが嫌でブルペン捕手に志願すると、やがて、松永怜一監督から本格的に捕手をするように言われ、マンツーマンの特訓を受けたという、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、高校卒業後、法政大学に進学すると、ち […] 続きを読む
王貞治はWBCで奇跡的に準決勝に進出していた! スポーツ野球 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)2次リーグの初戦のアメリカ戦では、球審に勝ち越し点を取り消され、その後、サヨナラ負けを喫した、王貞治(おう さだはる)さんは、その後、韓国にも再び敗れ(今大会2度目)、2次リー […] 続きを読む
王貞治の監督時代の小久保裕紀との信頼関係が凄い! スポーツ野球 1999年には、見事、リーグ優勝を果たし、その後、中日との日本シリーズも制して、ダイエーホークスを日本一に導いた、王貞治(おう さだはる)さんは、特に、4番の小久保裕紀選手には妥協を許さなかったそうですが、小久保選手は、 […] 続きを読む