西沢道夫は中日復帰後は首位打者と打点王の2冠王に輝いていた! 野球 戦後、復員し、中部日本軍(後の中日)に復帰するも、応召(召集に応じて軍隊にはいること)中に肩を痛め、投手として十分な活躍ができなかったうえ、チーム内が内紛状態で嫌気が差していた中、かねてより、父親のように慕っていたという […] 続きを読む
西沢道夫は延長28回を投げ抜いた年ノーヒットノーランも達成していた! 野球 1942年5月24日、トリプルヘッダーの3試合目の大洋戦(後楽園球場)に先発すると、大洋のエース・野口二郎投手と一歩も引かない投手戦を展開し、なんと、延長28回(世界記録)を投げ抜いたという、西沢道夫(にしざわ みちお) […] 続きを読む
西沢道夫(初代Mr.ドラゴンズ)は延長28回完投(世界記録)していた! 野球 1935年、14歳の時、大日本野球連盟名古屋協会(⇒名古屋軍⇒中日ドラゴンズ)に練習生として入団すると、1937年には、16歳と4日で公式戦デビューを果たし、1940年には、20勝、防御率1.92で、一躍主力投手となった […] 続きを読む
西沢道夫(初代Mr.ドラゴンズ)は16歳で公式戦初登板していた! 野球 1935年、14歳の時、大日本野球連盟名古屋協会(⇒名古屋軍⇒中日ドラゴンズ)に養成選手として入団すると、投手としては、1942年にノーヒットノーランを達成するほか、1947年までの通算9年間で60勝を挙げ、打者としても […] 続きを読む
米田哲也の現役時代の成績が凄い!19年連続二桁勝利!先発登板626試合! 野球 1956年に阪急ブレーブスに入団すると、阪急19年、阪神2年、近鉄1年で、通算350勝(日本プロ野球歴代2位)するほか、262完投、64完封、防御率2.91という凄まじい記録を残し、2000年には野球殿堂入りを果たした、 […] 続きを読む
米田哲也は400勝を目指して他球団移籍を申し出ていた! 野球 1966年1月、巨人へのトレード話が上がるも、阪急・小林米三オーナーがきっぱり否定したことから、阪急残留が決まった、米田哲也(よねだ てつや)さんは、その後も、快進撃を続けると、1971年には史上5人目の通算300勝を達 […] 続きを読む
米田哲也は19年連続で2桁勝利し僅か11年で200勝を達成していた! 野球 1956年2月13日、仕切り直して、阪急ブレーブスに入団した、米田哲也(よねだ てつや)さんは、1年目から9勝すると、2年目には21勝し、以降、19年連続2桁勝利を記録するほか、1966年には25勝で最多勝、1968年に […] 続きを読む
米田哲也は高1にしてカーブ・シュート・スライダーを習得していた! 野球 少年時代から野球以外にもサッカー、陸上、卓球、剣道など様々なスポーツに親しみ、中学校時代は陸上の走り高跳びの選手としても活躍していたという、米田哲也(よねだ てつや)さんは、その後、1953年には、境高等学校に進学し、本 […] 続きを読む
小山正明の現役時代の成績が凄い!47回連続無失点!5試合連続完封勝利! 野球 1953年、テスト生として大阪(阪神)タイガースに入団すると、阪神11年間で176勝、ロッテ9年間で140勝、大洋1年間で4勝と、通算320勝(日本プロ野球歴代3位)するほか、290完投、74完封、防御率2.45という凄 […] 続きを読む
小山正明は大毎オリオンズ移籍1年目に30勝で最多勝を獲得していた! 野球 1963年、山内一弘選手との「世紀のトレード」(後にも先にもない1対1の大物トレード)で大毎オリオンズに移籍した、小山正明(こやま まさあき)さんは、移籍1年目の1964年に、いきなり自己最多の30勝を挙げ、最多勝を獲得 […] 続きを読む