月丘夢路の死因は?若い頃は宝塚!娘は井上絵美!夫は?

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1937年に宝塚音楽学校に入学し、1939年「宝塚花物語」で初舞台を踏まれると、その美貌からたちまち娘役スターとなられた、月丘夢路(つきおか ゆめじ)さん。宝塚歌劇団退団後は、映画女優に転身し、大映、松竹、日活で看板女優として活躍。1959年にフリーとなると、以降、映画のほか、テレビや舞台でも幅広く活動されました。




プロフィール!


月丘さんは、1922年10月14日生まれ、
広島県広島市大手町(現在の中区大手町)のご出身、

学歴は、県立広島高等女学校
(現在の広島県立広島皆実高等学校)中退、

本名は、井上明子
(旧姓は旭爪明子(ひのつめ あきこ))

だそうです。


宝塚歌劇団へ入団


月丘さんは、高校在学中、小夜福子さんが出演されていた、
「宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)」の舞台を観て感激し、
「宝塚少女歌劇団」への入団を決意されると、

反対するご両親を説得して、高校を中退。
1937年、宝塚音楽学校に入られます。

そして、1939年、
「宝塚花物語」で初舞台を踏まれると、

その美貌から、たちまち人気を博し、
以降、娘役スターとして活躍されます。


日活の看板スタートして活躍


さらに、翌年の1940年に、
宝塚映画「瞼の戦場」に主演でスクリーンデビューすると、

1942年には、大映映画「新雪」で、
主演を務められ、映画は大ヒットを記録。


「新雪」より。

このヒットで、一躍スターとなられた月丘さんは、
1943年には「宝塚歌劇団」を退団し、大映を経て、
1947年「松竹京都」へ移籍されると、

1949年「晩春」
1950年「長崎の鐘」
1953年、1954年「君の名は 第一部、第二部、第三部」

などに出演。


「晩春」より。

そして、1955年には、
「日活」に移籍され、

1955年「あした来る人」
     「乳房よ永遠なれ」

1956年「火の鳥」
1957年「美徳のよろめき」
1958年「夫婦百景」
1959年「祈るひと」


「祈るひと」より。芦川いづみさんと月丘さん。

と、立て続けに出演し、「日活」の看板スターとして、
黄金時代を支えられています。

ただ、1959年には、「日活」が、
アクション映画に路線を変更したことで退社。
以後、フリーとなられています。


出演作品


それでは、ここで、
月丘さんの出演作品をご紹介しましょう。

映画では、

1960年「一本刀土俵入」
1961年「女房学校」
     「釈迦」
1962年「長脇差忠臣蔵」
1967年「河内遊侠伝」


「一本刀土俵入」より。月丘さんと長谷川一夫さん。

1971年「告白的女優論」
1974年「華麗なる一族」
1977年「青年の樹」
     「ブラック・ジャック」

1985年「二代目はクリスチャン」
1994年「女ざかり」


「二代目はクリスチャン」より。月丘さんと志穂美悦子さん。

テレビドラマでは、

1959年「芥川龍之介シリーズ 第4回「秋」」
1961年「海峡」
1962年「女の勲章」
1964年「七人の孫」
1967年「あいつと私」

1968年「大奥」
1969年「かみなり三代 第14話「よろめいたご隠居さん」」
1970年「大坂城の女」
1971年「女の顔」
1973年「華岡青洲の妻」

1975年 ポーラテレビ小説「お美津」
1976年「花ぼうろ」
1977年「花神」
1978年 土曜ワイド劇場「涙・あいつは今夜もいない」
1980年 土曜ワイド劇場「京都妖怪地図(1)嵯峨野に生きる900歳の新妻」
1981年「森繁久彌のおやじは熟年」
1983年「大奥」


「京都妖怪地図(1)嵯峨野に生きる900歳の新妻」より。
長谷直美さんと月丘さん。


ほか、大変多くの作品に出演されています。

ちなみに、月丘さんは、1966年(43歳)、
テレビドラマ「東京の人」のロケ先から帰宅途中、

乗り合わせた車のライトバンに衝突されるという、
交通事故に巻き込まれてしまい、

ガラスの破片で、右額から目の上にかけて、
約10センチ、深さ5ミリという全治3ヶ月の傷を負い、
事故から4ヶ月後に仕事復帰されているのですが、

傷が残ってしまい、
活動のペースを減らしたとも言われています。


死去


こうして、映画、テレビドラマ、舞台と、
長年に渡り、幅広く活動してこられた月丘さんですが、

さすがに、90歳頃(2012年頃)になると、
体調を崩されるようになり、

2017年1月、都内の病院に入院。

一時は回復されるも、同年5月3日、
「肺炎」のため、94歳で他界されたのでした。


夫は井上梅次


ところで、月丘さんの、
気になるプライベートですが、

月丘さんは、1958年、
映画監督の井上梅次さんと結婚されています。


月丘さんと井上梅次監督。

お二人は、1956年、映画「火の鳥」の撮影で、
知り合われたそうで、

結婚後はおしどり夫婦と言われるほど、
仲が良かったそうです。

2010年に、井上さんが、
「脳出血」のため亡くなった時には、

月丘さんは体調を崩され、
お別れ会を欠席されているのですが、

井上さんに、

立て続けに、5~6本、一緒に仕事をしましたね。
映画を観に行ったり、デートもしましたね。
そして、結婚もしましたね。

結婚式当日も仕事で、撮影が終わってから、日活ホテルで。
まるで、映画の中のシーンを撮影したような感じでした。

あれから、50年!

夫婦のシーンが続きました。

何事もキチンと整理整頓が行き届くアナタ!
私には、「普通の奥さん業はしなくていい」って。

日常の雑務はすべて自分が引き受けて、
家の事も、それぞれのプロに頼んでくれて。
女優業がしやすい体制を作ってくれたのね。

完全に甘えてしまいました。ずーっと。
私というお荷物は大変だったでしょう。
ゴメンナサイね。

今度そちらであえたときにお返ししますネ!!
それまで、沢山の先立たれた旧友達と会って、
元気で楽しい日々で待っていてね。

どうもありがとう。
出会えて、よかった。

と、メッセージを寄せられており、

このメッセージからも、
お二人の仲の良さが伝わってきますね。

子どもは井上絵美


そんなお二人の間には、
娘さんがひとりいらっしゃいます。

現在、料理研究家として活躍されている、
井上絵美(いのうえ えみ)さんで、

東京青山で料理教室「エミーズ」を主宰され、
トークショーや講演会のほか、雑誌、テレビなどにも出演。
幅広く活動されているとのことでした。


井上絵美さん

さて、いかがでしたしょうか?

類まれなる美貌で、
人々を虜にされてきた月丘さんですが、

生前は、市川海老蔵さん、ダルビッシュ有さん、
石川遼さん、高橋大輔さんら若いイケメン好きを、
公言されていたほか、

ご主人とのエピソードからも分かる通り、
見た目だけではなく内面も、
とてもかわいらしい方だったのですね。

これを機会に、若かりし頃の作品で、
月丘さんの美貌をご覧になってみてはいかがでしょう♪



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