赤木春恵が福山雅治と?娘は?現在は要介護4でパーキンソン病も!

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1959年、森繁久彌さんが主宰する「森繁劇団」に参加し、以降10年に渡り、演技を磨かれた赤木春恵(あかぎ はるえ)さんは、その後は、主にテレビドラマで活躍。特に1990年~2002年「渡る世間は鬼ばかり」での、嫁をいびる姑役はハマリ役となり、お茶の間でお馴染みの人となりました。また、2013年には、映画「ペコロスの母に会いに行く」で88歳にして初の主演を務め、ギネス世界記録にも認定されています。




「生い立ちは?若い頃は?身長は?森光子と?」からの続き

森繁久彌との出会い


結婚後は京都に住み、
ご主人と同じ「東映」で時代劇の脇役を中心に、
数多くの映画に出演されていた赤木さんですが、

1959年、森繁久彌さんが主宰する、
「森繁劇団」のプロデューサーから、

大阪の舞台に出演予定だった女優が出られなくなったことで、
代役をやらないかと連絡が入ります。

ただ、赤木さんは、子どもがまだ小さかったこともあり、
断るために大阪まで出向かれたのですが、
そこで、偶然、公演発表の記者会見に鉢合わせ。

すると、会見で話をする森繁さんに、
完全に心を奪われてしまったそうで、

(森繁さんの)その語り口のさわやかさや、
まるで詩人や作家のような言葉が次々とあふれ出してきていたのを、
まるで昨日のことのように思い出すわ。

なんてフレッシュで頭のいい俳優なんだろう、って聞き惚れていました。
実は、それが森繁さんにお会いするのは初めて。

今まで出会ったことのないタイプの人柄に、
一気に惹きつけられてしまったのね。

発表会見が終わってその場に居合わせた記者たちから、
コメントを求められた私は、思わず、
「ぜひこういうお芝居に出たいんです。一所懸 命がんばります」
と言ってしまったんです。
ミイラ取りがミイラになるって、まさにこのことですね。

と、断るどころか、
劇団に参加しようと決意されたのでした。

赤木さんはそれまで、
勧善懲悪の時代劇しか知らなかったため、

森繁さんが汚い格好をして演じる、
リアリティーあふれる人間像に、
カルチャーショックを受けられたそうで、

以降10年に渡り、必死にご自分のお芝居を磨く日々を送られ、
女優として大きな飛躍を遂げられたのでした。


赤木さんと森繁久彌さん

橋田壽賀子ファミリー~渡る世間は鬼ばかり


そんな赤木さんは、1972年、
NHK朝の連続テレビ小説「藍より青く」
に出演し全国的な知名度を得ると、

脚本家、橋田壽賀子さんの目に止まり、
1974年「四季の家」に出演。

その後も、

1976年「となりの芝生」
     「ほんとうに」

1980年「心」
1981年「おんな太閤記」


「おんな太閤記」より。佐久間良子さん(左)、
赤木さん(中央)、泉ピン子さん(右)


1985年「花のこころ」
1986年「いのち」
     「旦那さま大事」

1987年「おんなは一生懸命」
     「忠臣蔵・女たち・愛」



「おんなは一生懸命」より。(左から)角野卓造さん、
泉ピン子さん、赤木さん。


と、橋田さん脚本のテレビドラマに数多く出演され、
赤木さんは、橋田壽賀子ファミリーの、
一員に数えられるようになったのでした。

中でも、1990年からスタートしている、
「渡る世間は鬼ばかり」シリーズでは、

嫁の小島五月(泉ピン子さん)をいびる姑、
小島キミ役がはまり役となり、
お茶の間でお馴染みとなられています。

(ちなみに、2002年には、高齢により、
 台詞が覚えられないストレスから降板され、
 2011年の最終話のみ出演されています。)


乳がんを発症


こうして、長年活躍された赤木さんですが、
舞台公演を控えた2007年7月に、
ご自身の触診で左胸に違和感を感じられたそうで、

千秋楽後の10月25日に病院で診察を受けられたところ、
11月上旬に「乳がん」と診断されてしまいます。

ただ、12月19日、左乳房の全摘出手術を受けられ、
その後は、投薬と放射線治療を行われると、
がんの転移は見られず、無事に回復。

2009年には、トーク番組徹子の部屋」で、

自分のような年齢になっても、乳がんになることもあり、
それでも克服し、前向きに進むことができた。

その経験を語ることにより、
不安を持つ方への励みになれたら。

と、乳がんの手術と闘病生活について、
明かされています。

要介護4のうえパーキンソン病も


ところが、2015年、今度は、
自宅でお茶を取りにキッチンに行く途中、
脚を滑らせて転倒してしまい、

「大腿骨頸部(太ももの付け根のの関節部分)骨折」
という大けがに見舞われてしまいます。

そして、手術をした場合は、すぐに歩けるようになるものの、
過酷なリハビリを要することから、

赤木さんは、高齢(当時91歳)であることを考慮し、
手術をせずに、自然に骨が修復する方を選択するのですが、

骨の修復には長い時間がかかることから、
その間に足腰の筋肉が衰えてしまって歩けなくなり、
寝たきりの生活に。

(排泄や入浴など生活全般において介助や手助けが必要な状態、
 要介護4と認定されたそうです。)

また、骨折のリハビリをしようと思った矢先、
手が震えるなど、「パーキンソン病」まで発症してしまったのでした。


福山雅治と?


ところで、そんな赤木さんの励みになっているのが、
福山雅治さんだとか。

というのも、2014年に、お二人は、
お互い別の映画で出席した「高崎映画祭」で、
初めて出会われているのですが、

ちょうど赤木さんの誕生日だったのか、福山さんが、
新作のCDに「ハッピーバースデー」と書いて、
赤木さんに渡されたそうで、

その後、赤木さんがお礼状を書かれると、
それをきっかけに、福山さんと文通が始まったのだそうです。

あの福山さんから、そんな心遣いをしてもらったら、
そりゃ誰でもテンションが上がりますよね~

ちなみに、赤木さんが2017年、
ご自身の誕生日(3月14日)に発表されたエッセイ、
「あせらず、たゆまず、ゆっくりと。93歳の女優が見つけた人生の幸せ」には、
福山さんが帯文を寄せられています♪


あせらず、たゆまず、ゆっくりと。93歳の女優が見つけた人生の幸せ

さて、いかがでしたでしょうか?

ご主人と1991年に死別されて以来、娘で、事務所スタッフの、
野杁泉(のいり いずみ)さん一家と同居されている赤木さんですが、


野杁泉さん

現在は、週3回1時間半ほど、歩行練習や握力強化の、
リハビリに励まれているそうで、

野杁さんによると、

母は頭がしっかりしていて、トイレや食事も自分でできます。
ただ、パーキンソン病の影響で指先が震えて字が書けない。

とのことで、リハビリの成果か、
自身の身の回りのことは出来るようになられたとのこと。

これらからも、ご自身の著書のタイトルのように、
あせらず、たゆまず、ゆっくりと、治療に専念して、
また元気なお姿を見せてほしいですね。

女優に復帰される日を楽しみに待っています!!



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