黒柳徹子!徹子の部屋!ザ・ベストテン!世界ふしぎ発見!

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1950年代からテレビの世界で活躍する、黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)さん。早口で、とても個性の強いキャラクターが、世代を問わずに人気です。




幼ない頃


黒柳さんは幼い頃、
ちょっと変わった女の子だったため、

先生から迷惑がられて、
とうとう、小学校1年生の時、
退学になってしまったのだそうです。

その後、黒柳さんは、
トモエ学園に転校されたのですが、

黒柳さんは、初めて会った、
トモエ学園の校長先生に、

前の学校のことや、
飼っている犬のこと、家族のことなど、
4時間も話し続けられたというのです!

それでも、校長先生は、
話を遮ることはなく、
最後まで話しを聞いてくれたのだそうです。

そして、黒柳さんの話を、
最後まで聞き終わった時に、

君はここの生徒だよ。

と、言ってくれたのだとか。

実は、幼いながらに、黒柳さんは、
自分がみんなから疎外されている、
と感じられていたそうで、

校長先生は、そんな黒柳さんに、何度も、

君は、本当は、いい子なんだよ。

と言ってくれたのだとか。

この言葉は、そんな黒柳さんを、
いつも元気づけてくれたのでした。

黒柳さんの著作で、
戦後最大のベストセラーとなった、
「窓ぎわのトットちゃん」は、

この、トモエ学園の校長先生に、
捧げられているのだそうです。



自分を理解してくれる人と、
幼いころに出会えて、本当に良かったですね。

NHKへ入社


その後、黒柳さんは、
中学校を経て、音楽学校に入られています。

オペラ歌手を目指されていたのですが、
残念ながら、なれないことが分かったため、

子どもに、本を上手に読んであげられる、
お母さんになりたいと思われ、
「NHK放送劇団」の試験を受けられます。

黒柳さんは、「NHK放送劇団」が、
素人でも1年間養成してくれるということを知り、

もしかしたら、絵本の読み方を、
教えてくれるかもしれないと、
募集に応募されたのだそうです。

「NHK放送劇団」の面接では、

親に言ったら、
こんなみっともない仕事を(するのはやめろと言われた)…

こういう世界は、騙す人が多いから、
気をつけろという話を聞く。

などの、失言を繰り返されたそうですが、

黒柳さんは、6000人の応募者の中から、
見事、劇団員に選ばれたのでした。



個性を活かす


そして、「テレビ女優第一号」として、
華々しくデビュー・・・
するはずでしたが、

個性が強すぎる、
個性が邪魔だ、と言われ、

初めの一年間は、
役を降ろされてばかりだったとか。

しかし、そんな黒柳さんに、
転機が訪れます。

1954年、ラジオ番組「ヤン坊ニン坊トン坊」
が開始するにあたり、

子どもの声で話せる大人の俳優を、
NHKが初めてオーディションし、
黒柳さんは見事合格されたのです。



その時、黒柳さんは、
劇作家の飯沢匡さんに、

個性をなんとかしますから。

と言うと、飯沢さんは、

いや、君の個性がいいんです。

とおっしゃったのだとか。

黒柳さんは、その言葉を聞いて、
とても嬉しかったと、後に語っておられます。

そして、4年後の1958年には、
当時では、異例の25歳の若さで、

「第9回NHK紅白歌合戦」の、
紅組の司会者を務められることとなったのでした。

活動


黒柳さんは、1971年、
ニューヨークの、「メアリーターサイ演劇学校」
に留学されています。

黒柳さんは、テレビやラジオで、
俳優たちと共演を重ねるにつれ、

その存在感や、お芝居の上手さに、
感銘を受けられたそうで、

なぜこんなにお芝居が上手なのだろう、
と考えられた結果、

俳優たちには、舞台の経験があることが、
分かったのだそうです。



そこで劇団に入ろうと、
一念発起されたのでしょう。

黒柳さんが、なぜ、ニューヨークを選ばれたのかは、
分かりませんでしたが、

英語やお芝居だけではなく、
生き方も学ばれたということで、
とても貴重な体験をされたようですね。


徹子の部屋!


そして、1976年、
黒柳さんの冠番組である、
「徹子の部屋」が放送開始しています。

日本初のトーク番組ということで、
黒柳さんは、放送開始にあたり、
テレビ朝日に、

・スタッフの入れ替えをしないこと
・編集をしないこと(撮って出しの手法)

という条件を出されたそうです。

(実際には、プロデューサーやディレクターは、
入れ替わっているそうですが)

「編集をしないこと」の理由としては、

「ゲストのありのままの姿を引き出すため」

「番組の質の低下を防ぐため
(帯番組を編集するのは多大な労力がかかる)」

「『ここをカットしてほしい』『ここを残してほしい』と
編集に関する意見が衝突するのを防ぐため」

だそうです。



黒柳さんは、そのことについて、

一切編集をしない。ほぼ生放送の状態。
だから皆さん本心を話してくれるんでしょう。

と、語っておられ、

そんな黒柳さんの真摯な態度が、
ゲストの信頼を得て、
自然な流れで本心を打ち明けられるようです。

まるで、みんなのお母さんのような黒柳さん。
黒柳さんの前では、なぜか秘密事を、
話したくなるのでしょうね♪

ザ・ベストテン!


1978年には、
歌番組「ザ・ベストテン」の司会をされ、
1989年の最終回まで務められています。

「ザ・ベストテン」は、
レコード売り上げ、有線放送リクエスト、ラジオ放送リクエスト、
番組に寄せられたハガキのリクエスト、

を合わせた、ポイント制で決定された、
毎週上位10曲を発表するという歌番組でした。



黒柳さんは、放送開始時、

本当に1位でない人を、1位と言わせないでください。

と、ランキング操作拒否の姿勢を、
打ち出されていたそうです。

そして、TBSプロデューサーの故山田修爾さんは、
番組終了までの12年間、
その約束を守りぬかれたのだとか。

黒柳さんの、番組に対する真っ直ぐな姿勢に、
山田さんは答えてくれたのですね。

世界ふしぎ発見!


黒柳さんは、1986年からは、
クイズ番組「世界ふしぎ発見!」に出演されています。

黒柳さんは、勉強のために、
この番組に出演することを引き受けられたのだとか。



黒柳さんが中学に入る頃、
日本はちょうど戦争が終わり、
そのどさくさに紛れて、何も勉強していないまま、
学校生活が終わってしまったのだそうで、

そのことを、
ずっと気にされていたのでしょう。

黒柳さんは、インタビューで、

勉強するために(世界ふしぎ発見の)
出演を引き受けたんですからね。

歴史がわかってないのでね。
とにかく勉強するとか、一応努力している。

ともかく自分でしないことにはね、
当たり前のことだけれど。

と語っておられました。

長生きした者は・・・


また、黒柳さんは、
ポールマッカトニーの公演を見に行かれたそうで、

生き長らえた者の使命、
結局、自分でなんとかしなきゃいけないんだ、
って分かったんです。

生き長らえた者の使命というと、
なんだか変だけど、
長生きしちゃうと、誰でもそうしなきゃ、
なんとかしなきゃ駄目だと思うんです。

残された者の務めというものは、
人から見た時に、

元気そうとか、明るいとか、やさしいとか、
おもしろいとか、かっこよくとか、
なんとも形容しがたいんですけど、

何かそういうものがなきゃ、
駄目だなあって思うんです。

と、思われたのだそうです。

黒柳さんの、明るく、楽しいキャラは、
こういう生き方を意識されているからこそ、
なのですね。

黒柳さんは、2015年にも、
「NHK紅白歌合戦」の総司会者を務められているのですが、

リハーサルの待ち時間に、
突然スクワットを始められたというのです。

すると、その場にいた、
白組と紅組の司会者だった、
井ノ原快彦さんと綾瀬はるかさんも、
一緒になって、スクワットを始められたそうです。

2016年で83歳になる黒柳さんですが、
まだまだ、お元気な姿を見せていてほしいですね♪

応援しています!!



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