1960年代、「ザ・タイガース」のベーシストとして一世を風靡すると、「ザ・タイガース」解散後は、俳優業に転身し、独特の持ち味で数々のテレビドラマや映画で存在感を放っている、岸部一徳(きしべ いっとく)さん。今回は、そんな岸部さんと弟・岸部四郎さんとの関係についてご紹介します。

「岸部一徳は激しい頭痛で緊急入院していた!」からの続き

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弟・岸部四郎は途中から「ザ・タイガース」のメンバーだった

岸部さんは、6人兄弟の三男で、すぐ下には(四男)、俳優・司会者として活躍された、岸部四郎さんがいらっしゃるのですが、

四郎さんは、1969年、加橋かつみさんが「ザ・タイガース」を脱退後、兄・一徳さんに電話で呼び出されて、新メンバーとして「ザ・タイガース」に加入させられ、加橋さんの後釜として、ギター、タンバリン、コーラスを担当されていました。

(加入当初はギターを弾くことができず、弾く真似をしていたそうです)


「ザ・タイガース」(左から)森本太郎さん、瞳みのるさん、岸部四郎さん、岸部一徳さん、沢田研二さん。

弟・岸部四郎は俳優業・司会業で人気

その後、1971年、「ザ・タイガース」解散後は、俳優業に転身し、1978年のテレビドラマ「西遊記」の沙悟浄(さごじょう)役で人気を博すと、その後も、数多くのテレビドラマに出演され、


「西遊記」で沙悟浄(さごじょう)に扮する岸部四郎さん。

1984年には、情報番組「ルックルックこんにちは」の司会に抜擢されると、ひょうひょうとしたキャラクターでお茶の間の人気を博したのですが・・・


「ルックルックこんにちは」より。岸部四郎さん。

弟・岸部四郎の闘病を支えていた

1998年、趣味だった骨董品のコレクションでの浪費がかさみ、4億2千万円もの借金を抱えて自己破産すると、所属事務所からも解雇。

さらに、2003年には、「脳出血」で倒れられると、なんとか一命をとりとめるも、その後、後遺症に悩まされます。

そんな中、2007年には、闘病生活を支えてくれた最愛の妻が43歳という若さで急死し、ショックでうつ状態となると、2009年には、救急車で救急搬送されるなど体調が悪化。2012年からは老人ホームで暮らされていました。

沢田研二のライブツアーに兄弟でゲスト出演

そんな四郎さんを支えたのが、兄・一徳さんだったそうで、四郎さんは、2012年1月、沢田研二さんのライブツアー「沢田研二LIVE 2011-2012」の公演最終日に、兄・一徳さんに支えられて登場すると、

ステージの真ん中に用意された椅子まで歩いていき、椅子に座って、「ザ・ビージーズ」「若葉のころ」を懸命に歌い上げられているのですが、

一徳さんは、後に、「週刊女性」(2012年2月21日号)のインタビューで、

ギリギリまで四郎も自信なかったみたい。だけど、武道館に向けて頑張っていましたよ。カラオケで練習したり、歩行の訓練をしたりね。(中略) 

四郎は立って歌いたかったんです。当日はイスに座ってという形になりましたけどね。舞台袖までは車イスでしたが、ステージ上では歩くという目標はクリアできた。

 
ただ彼は元気なときに歌っていた記憶、しゃべっていた記憶があって、そのときの自分と今を比べてしまうんですね。でも、そんなこと忘れていいんですよ。まだまだ気力はあるし、面白いことも話せる。もともと持っているおもしろさがありますからね。

久しぶりに四郎の歌を聴いて、えこひいきじゃなく、歌は大丈夫だと思いましたよ。高い声も出ていましたからね。自信がないだけなんですよ。

と、やさしいお兄さんの眼差しで語っておられます。

弟・岸部四郎が他界

その後、四郎さんは、完全復帰を目指して闘病を続け、2013年、「ザ・タイガース」復活コンサートの最終日には、東京ドーム公演に車椅子で出演されたのですが、これが公の場に姿を現した最後となり、2020年8月28日、「拡張型心筋症による急性心不全」のため、71歳で他界されたのでした。


「ザ・タイガース」復活コンサートより。沢田研二さんに車椅子を押され、一徳さんに見守られながら登場する岸部四郎さん。

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弟・岸部四郎の才能を高く評価していた

ところで、一徳さんは、弟・四郎さんをどのように思われていたのでしょうか。

一徳さんは、四郎さんが自己破産した時には経済的にサポートし、病気を患われた後は闘病生活を懸命に支えられており、とても優しいお兄さんという印象があるのですが、弟の才能をとても高く評価されていたようです。

というのも、四郎さんは、もともとは、一徳さん、沢田研二さん、瞳みのるさん、森本太郎さん、加橋かつみさんが活動するバンド「ファニーズ」(「ザ・タイガース」の前身)の良きアドバイザー的な存在だったそうで、

1966年、「ファニーズ」は、京都会館で開かれた「全関西エレキバンドコンテスト」で、「ローリング・ストーンズ」「satisfaction」を演奏し、見事優勝しているのですが、

当初、「全関西エレキバンドコンテスト」への出場を決めかねていた一徳さんたちに、「ローリング・ストーンズ」「satisfaction」を勧めたのは、まだ中学を卒業したばかりの、四郎さんだったのだそうです。

そんな四郎さんを、一徳さんは、

ギターの加橋かつみが辞めたあとに、僕の弟の岸部四郎が入って。弟にとってはこの人生の岐路は大きかったでしょうね。京都でウロウロしていた男が、いきなり「ザ・タイガース」みたいなところに入れられて、解散してからも音楽をやって、タレントや司会者になって。

四郎は僕よりもよっぽど才能がある。司会だって面白いし、俳優の部分だって

(経済的にサポートし続けたことについて)まあ兄弟ですから。弟は2歳下でまだ69歳ですけど、いまちょっと体の調子が悪くて。彼は「ザ・タイガース」の勢いにうまく乗って、あるところまではよかったんですけど、体の調子が悪くなってからは、けっこうしんどいことになりましたね。

僕たち兄弟は性格も全然違うんです。才能だけでいうと、弟のほうがあったかもわからないですね。彼は「タレント」としておもしろい人間だと思うんです。話術もうまいし、歴史や美術が好きで、それを人に伝えていくのが上手だった。だからいまの状態は「本当にもったいないなあ」と思うんです。

と、語っておられ、四郎さんの才能を認めつつも、そのまなざしは、どこまでもやさしいお兄さんでした。


岸部一徳さん(左)と弟・岸部四郎さん(右)。

さて、いかがでしたでしょうか。

岸部さんの、

  • 年齢は?出身は?身長は?
  • 本名は?芸名の由来は?
  • 少年時代は父親が遊び人のため貧乏生活
  • 瞳みのる、森本太郎、加橋かつみと出会う
  • バンド「サリーとプレイボーイズ」を結成しベーシストとして活動
  • 沢田研二をスカウトし「サリーとプレイボーイズ」から「ファニーズ」へ改名
  • ジャズ喫茶「ナンバ一番」の専属オーディションに合格
  • 「ファニーズ」で「全関西エレキバンドコンテスト」優勝
  • 和田アキ子も「ファニーズ」のファンだった
  • 大阪・西成区の「明月荘」で5人の共同生活を始める
  • 「ザ・スパイダース」の田辺昭知に東京進出を進められるも・・・
  • 内田裕也に声をかけられる
  • 「渡辺プロダクション」のオーディションに合格
  • 東京へ出発
  • 「ひかり」と間違えて「こだま」に乗っていた
  • 「ザ・タイガース」に改名させられる
  • 「シーサイド・バウンド」が大ヒット
  • メンバーの活動を支えたもう一人の「ザ・タイガース」
  • スパルタ式の特訓
  • 引っ越しを考えるようになる
  • 加橋かつみが浮いた存在になっていく
  • 加橋かつみが不満を募らせていく
  • 加橋かつみと沢田研二が不仲に
  • 岸部一徳はメンバーの聞き役に徹していた
  • 加橋かつみが「渡辺プロダクション」に脱退申し入れ
  • 人気絶頂期に加橋かつみが失踪
  • 加橋かつみの失踪は「渡辺プロダクション」が仕組んだ「脱退劇」だった
  • 岸部一徳の必死の説得で瞳みのるは失踪を思いとどまる
  • 「ザ・タイガース」が沢田研二のバックバンド化
  • 「ザ・タイガース」が解散
  • 沢田研二を誘い萩原健一らと「PYG」結成
  • 沢田研二は事務所に優遇されるもバンドにこだわって解散に反対していた
  • 本格的なロックを目指すもまたもや「渡辺プロダクション」所属に
  • ライブ中に沢田研二と萩原健一のファンが互いに嫌がらせの応酬
  • 硬派なロックファンから猛烈なバッシングを浴びる
  • 「PYG」として活動
  • 「PYG」が解散(自然消滅)
  • 「井上堯之バンド」として活動するもミュージシャンを廃業
  • 「レッド・ツェッペリン」のジョン・ポール・ジョーンズが岸部一徳のベースを絶賛
  • 俳優へ転身し樹木希林の事務所に所属
  • 市川崑監督にも重宝される
  • 映画「死の棘」で「日本アカデミー賞最優秀主演男優賞」を受賞
  • 樹木希林に大きな影響を受けていた
  • 個性派俳優として活躍
  • 「しんがり~山一證券 最後の聖戦~」では有原泰蔵役
  • 「ドクターX~外科医・大門未知子~」では米倉涼子の精神的支えに
  • 岸部一徳の自然体の演技の秘訣は?
  • 出演作品(テレビドラマ)
  • 出演作品(映画)
  • 「日本アカデミー賞」主演男優賞&優秀助演男優賞を合計4度も受賞
  • 妻は?
  • 妻がマンション住人に罵声
  • 妻がマンション住人にわざと車を当てた?
  • 妻に賠償命令が下る
  • 妻と別居
  • 息子は岸部大輔
  • 脳神経外科に緊急入院していた
  • かねてより体調不良が心配されていた
  • 大事をとって2週間ほど入院していた
  • 弟・岸部四郎は途中から「ザ・タイガース」のメンバーだった
  • 弟・岸部四郎は俳優業・司会業で人気
  • 弟・岸部四郎の闘病を支えていた
  • 沢田研二のライブツアーに兄弟でゲスト出演
  • 弟・岸部四郎が他界
  • 弟・岸部四郎の才能を高く評価していた

について、まとめてみました。

バンド時代は、ベーシストとして世界で活躍する、「レッド・ツェッペリン」のジョン・ポール・ジョーンズさんから絶賛される腕を持ちながら、そのレベルの高さが当時の日本人には理解できなかったのか、常に沢田研二さんのバックバンドという位置だった岸部さん。

それは、岸部さんの謙虚な人柄がそうさせたのかもしれませんが、俳優業に転身してからはその魅力が炸裂。70代という高齢ですが、まだまだ、活躍してほしいものです。

「岸部一徳の生い立ちは?若い頃はサリーとプレイボーイズを結成!」

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