しばらくは、音楽活動(オフコース)と大学院生(建築)の二刀流を続けていた、小田和正(おだ かずまさ)さんですが、1976年、大学院修了時には、ついに音楽一本に絞り、それまでサポートメンバーだった、松尾一彦さん、大間ジローさん、清水仁さんを正式に「オフコース」のメンバーに加えて5人編成とすると、音楽性がフォーク調からロック調に変化したといいます。

「小田和正が若い頃はオフコースと大学院生の二刀流だった!」からの続き

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サポートメンバーだった松尾一彦、大間ジロー、清水仁が正式に「オフコース」に加入

1976年、大学院修了時に、建築をやめ、完全に音楽の道を選択した小田さんは、同年には、サポートメンバーだった、松尾一彦さん(ギター)、大間ジローさん(ドラムス)、清水仁さん(ベース)の3人を「オフコース」の正式メンバーとし、本格的なバンド編成とすると、

やがて、(特にロックをやりたいと思っていたわけではなかったそうですが)フォーク調だった音楽はロック色の強い音楽に変化していったそうです。


「オフコース」(左から、鈴木康博さん、清水仁さん、松尾一彦さん、大間ジローさん、小田さん。)

「オフコース」にロックを取り入れシャウトしていた

というのも、新たに加入した3人がもともとロック畑だったからで、

レコーディングの際、小田さんが歌っていると、ベースの清水さんから、

小田ちゃん、もっとシャウトせーや

と、(関西弁で)言われ、

小田さんが、

えっ、シャウトしてるよ

と、言うも、

いや、シャウトしてへん。そんなん、シャウト違う

と、ダメだしされたそうで、

小田さんは、

そこで、歌い方が変わったというか、ちょっと幅ができたね。バラードでも、本当にシャウトするというね。

もちろん、ただただ、がなってもしょうがないし、きれいに歌うことも大事なんだけど、やっぱりステージではシャウトすると、聞いている人に伝わるわけ。言葉と一緒になって伝わったんだろうね。

と、語っています。

(ロックは、小田さんがそれまで全くと言っていいほど通ってこなかったジャンルだったそうですが、ロックを取り入れたことによって歌い方が変わり、それまでしたことのない「シャウト」(大声で叫ぶ歌い方)をするようになったそうで、これが、ライブでとても役にたったそうです)

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「オフコース」を5人編成とすると気持ちに余裕が生まれるようになっていた

ちなみに、3人加わって5人編成のバンドになった際、わざわざ「5人のバンドになりました」とは打ち出さなかったため、新加入の3人は、依然として、周囲からはバックバンドのように見られていたそうで、小田さんは、できるだけ一つのバンドに見せようとしていたそうですが、5人のバンドだと意識することで、心に余裕が出てきたといいます。

というのも、鈴木康博さんと二人でやっていた時は、ライブは、もう、いっぱいいっぱいで、もし間違えたら、どちらが間違えたかがはっきりと分かり、それがどうにもならないミスだと、後々引きずることも多く、二人の間もぎくしゃくしたものになっていたそうですが、5人だと、ちょっと間違えても誰にも分からなかったことから、気持ちにとても余裕が出たのだそうです。

さらに、5人でするライブは音も大きく、それが表情などいろいろなことに好影響を与えたそうで、バンドは楽しいと実感するようになり、それがお客さんにも伝わったのか、徐々にお客さんがつくようになっていったそうで、

小田さんは、

二人でやってたら、どうなっていたかわからないけど、だんだん盛り上がっていったのは、五人のバンドになったおかげだったね。

と、語っています。

「小田和正が若い頃はオフコースで「さよなら」が大ヒットしていた!」に続く

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